春が追い付く二拍手前。
 もみ路さんが無事、赤ちゃんを産んだのは、その日の夜だった。


「猿みたい」

 桜さんは、初めて見る生まれたての赤ん坊を、ベッドに肘をついて不思議そうに見ていた。

「……」
 私も、桜さんの肩から、生まれたての彼女の弟を、なんとなく不思議に思いながら見ていた。


 こんなにも小さいのに、いつかは倍以上に大きくなって。
 こんなにも何も世界のことをわかってなさそうなのに、
 いつかは柾みたいに、しっかりとした、一人の人間となり、
 母親の(かいな)から旅立っていくと思うと、それはとても果てしなく、神秘に満ちたことのように思えたからである。


「フユちゃん、触ってみる?」

 もみ路さんがにこりと笑いかけてくれるのに頷くと、私は、そっと赤ん坊の頬に触れてみた。
 自分には感覚神経がないから、感触は主観的にはわからないが、数値的にはとても柔らかく、優しく温かいということが分かった。

「……」

 私も、このぬくもりが、柔らかさが、
 数字じゃなくて、そうであると心で感じることができたら。


 私は、何だかとても寂しい心地になった。
 だから、そんな心地を見ないふりをして、ただただ願う。


 この子の未来に、幸多からんことを。


 かつては、ハル様もこの子のように、この世にこうして、幸せになるために生まれた。
 だけど、ハル様の、彼女の父親の、そして私の。小さな道の誤りの繰り返しが、だんだんと取り返しがつかなくなって。
 はるか幸せから遠くに来てしまってから、それに気づいて。


 どうか、せめて桜さんやこの子だけは、そんなことにならないよう。
 私がいます。
 これからも傍に。

 私が彼女にできなかったことを、今度こそ。この子たちに。


 私は決意をした。そして、赤ん坊の手に触れる。指切りなどできない。けれど、赤ん坊は、私の手を、約束するかのように、きゅっと握ってくれた。
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