天妃物語 〜鬼討伐の条件に天帝の子を身籠ることを要求されて〜
「……なにかご用でしょうか」
「私を警戒しているのかな」
「そ、そんなつもりは……」

 心の内を見透(みす)かされたようで動揺してしまう。
 そんな私の反応に山伏(やまぶし)の笑みがさらに歪みます。

「そう警戒しないでくれ。この混沌とした世界で、その腹に尊い赤子(あかご)宿(やど)した者よ」
「え?」

 思わず山伏を凝視しました。
 すべてを見透かしているかのような山伏の目。その目は暗く(にご)っていて、本能的に後ずさってしまう。
 その時、(にぎ)やかだった市|《いち》に悲鳴があがりました。

「野犬だ!」
「早く逃げろ! 野犬の群れが市に入ってきたぞ!!」

 辺りが騒然となり、女性や子どもが慌てて逃げだしていく。
 (いち)に侵入した野犬の群れがそこかしこを駆け回り、男たちが棍棒を振り回して追い払おうとしています。
 私も早く逃げなければと駆けだそうとしたけれど。

「え、……いない?」

 山伏が忽然(こつぜん)と消えていました。
 ついさっきまでそこにいたのに……。
 不気味な山伏に困惑しましたが今は早く逃げなければ。
 しかし、一頭の野犬が私に向かって猛然と走ってきます。騒然とする周囲に目もくれず、私に向かって真っすぐに。

「な、なんで私のところにっ……」

 まるで狙っているかのようなそれに血の気が引いていく。
 必死に逃げるけれど背後に野犬が迫ってきて、私に向かって襲い掛かってきました。

「ガアアアアアア!!」
「っ、きゃああああ!!」

 野犬に背を向けて縮こまりました。
 でも、いつまで待っても野犬に襲われることはありません。
 おそるおそる背後を振り返って、驚愕に目を見開く。

「黒緋様……!?」

 そこには黒緋がいました。
 黒緋が私を守るように立っていたのです。
 でも黒緋の腕に野犬が嚙みついていて背筋が凍りつく。

「黒緋様、腕が!!」

 慌てて駆け寄ろうとしたけれど、「そこにいろ」と手で制されます。

「でもっ……」

 私は真っ青になって黒緋を見つめました。
 野犬の鋭い牙が黒緋の腕に食い込んでいきます。
 でも黒緋が動じることはなく、野犬を噛みつかせたまま指を立てて(いん)を組みました。
 次の瞬間、ピカリッ! 閃光が(ほとばし)る。

「っ……!」

 あまりの眩しさに目を閉じるも、次に目を開けると野犬が跡形もなく消えていました。
 呆然とする私を黒緋が振り返ります。

「鶯、大丈夫か?」
「黒緋様、さっきの野犬は!? それに腕が!!」

 ハッとして黒緋の腕を取りました。
 野犬に噛まれた箇所が出血して狩衣にみるみる血が滲んでいく。

「大丈夫ですか!? どうしてこんな真似を!」

 私は着ていた装束の袖を破って血が滲む腕に巻きつけました。
 でも止血しても血は止まらなくて、巻きつけた布にじわじわ染みてくる。
 痛ましさに視界が滲みましたが、黒緋は私を見て優しく目を細めました。

「お前が無事でよかった」
「こんな時になにを言ってるんですか!」
「本心だ。お前に怪我がないならそれでいい」

 黒緋はそう言ってくれましたが、……ぐらり、その体が私に(おお)いかぶさってくる。

「え? ……ああっ、黒緋様!」

 倒れてきた黒緋を咄嗟に受け止めました。
 黒緋の額には汗が滲み、その顔色が紙のように白くなっていく。

「しっかりしてくださいっ。黒緋様っ、黒緋様……!」

 反応を返してほしくて必死に呼びかけました。
 しかし黒緋はそんな私を安心させるように微笑むも、その瞳は閉じられたのでした。



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