風が吹いたら
*
半世紀以上の時が過ぎて、時代は昭和から平成へと移りました。
あの頃からは想像もできないくらい、世の中は変わりましたね。
今では写真のプリントも機械ですぐにできてしまいます。
電話はプッシュ式になったし、きれいなカラー映像がテレビで観られます。
先日、旅番組を観ておりましたところ、画面の端で黄色いものがふわりと動きました。
何気なく目をやるとミモザの花でした。
番組は少し前に撮影されたものなのでしょう。
今は花時を終えているはずのミモザは、まだ盛りでした。
番組の目的地は別の場所で、映ったのはわずかな時間でしたが、黄色いお花が手招きする隣に写真館が見えました。
「ーーもしもし。お忙しいところ申し訳ございませんが、ご店主さまはいらっしゃいますか?」
その写真館の連絡先はすぐにわかりました。
それでも二週間悩んで悩んで、人生二度目の勇気を出したのです。
初めに若い女の子が出まして、店主だというお父さまに代わっていただきました。
『ーーもしもし。お待たせいたしました』
あなたかと思いました。
言葉の端々に訛りがあって、あなたでないことはすぐにわかりましたけれど、声はあなたそのものでした。
「あの……つかぬことを伺いますがーー」
突然電話して、変なことばかり聞きましたのに、とても丁寧に対応してくださいました。
あのミモザは、先代がお店を開くときに植えたのだそうです。
先代が修行した写真館の脇にミモザがあったのだとか。
『何度か台風で倒れたんですけど、そのたびに父が植え直したので、今の木は三代目なんです。すぐ育つので剪定が面倒くさいし、種の掃除も手間なんですけど、父の形見ですから伐るのもためらわれて』
笑い声もそっくりでした。
あなたは戦火を生きて、あの海のそばのきれいな街に写真館を構えて、やさしいご家族に囲まれて生きたのですね。
『花の季節にぜひいらしてください』
あなたと同じ声で、同じことを言われたものだから、わたしも、
「はい。ぜひうかがいます」
と嘘をつきました。
精一杯の明るい声で。
今度こそ、嘘が下手、とは言わないでしょう?
子機を置いたら、通話ランプが赤から青に変わり、そして消えました。
ティッシュで目元と鼻を拭いましたけれど、一枚では足りませんでした。
だってあなたは、わたしの金色のおりがみだったのです。
大袋の中に、たった一枚きりの。
長いこと大事にしまっておりましたけれど、もういい歳ですから、ツルにして空に還しますね。
部屋の中はだいぶ暗くなっていました。
庭に面した窓を開けると、ミモザの枝葉の間を黄昏がこぼれていきます。
その枝がやわらかく揺れました。
風がお隣からカレーの匂いを連れてきて、わたしの頬をやさしく撫でてゆきます。
あなた、今笑ったでしょう?
了