ネイビーブルーの恋~1/fゆらぎ~
第4章 ヒーロー

第17話 すぐそこに

 元彼がどうして暴れていたのかは、勝平から聞いた。
 スマホの番号を変えてようやく莉帆に連絡できるようになったのに莉帆は電話に出ず、LINEもブロックされた。イラつきながら入ったバーで最初は大人しく飲んでいたけれど、ふと見た発信履歴によりイラつきが増した。異変に気づいた従業員が抑えようと話しかけたけれど効果はなく、元彼は近くにいた女性客にねちねち話しかけた。従業員は二人を離そうとしたけれど、元彼は逆上して暴れだしてしまった。
 従業員が架けた電話が悠斗のいる交番に繋がり、他の客が店の外に出て呼んできた勝平が通話中に到着したらしい。元彼が暴れていたバーは繁華街にあって、治安もそれほど良くはないので普段から警察官を見かけることが多い。
『とりあえず安心やなぁ。でも、そんなに長くないんやろ?』
 休日、莉帆は佳織に電話をかけていた。佳織が聞いたのは、元彼が刑務所に入っている期間だ。
「うん、二年くらいって言ってたから、すぐやわ」
『莉帆はどうするん? 出てきたら、また……』
 元彼が莉帆の前に現れる可能性は無くなるわけではない。莉帆がいまの職場にいる限り、また警戒の日々になるだろう。
「異動願い出そうかなぁ」
『え? 異動って、引っ越さなあかんのじゃないん?』
「そうやけど、引っ越したほうが安心できるから」
 莉帆は就職してからずっといまの職場で働いているけれど、女性で引っ越しを伴う転勤をする人は特に珍しくない。以前に一緒に働いた仲間も各地にいるので、転勤することに不安はなかった。
『でも──、あの二人は? 莉帆、せっかく仲良くなってたのに……』
 勝平と悠斗とは、この数ヶ月で確かに仲良くなった。二人とも用事がなくても連絡をくれることが増えたし、まだ少しだけ外出が怖い莉帆を気遣ってか、昼間に遊びに連れ出してくれることもあった。
『莉帆、勝平さんに、ちゃんと返事するって言ったんやろ?』
 莉帆は勝平からの交際申し込みを一旦は断ったけれど、恋人にしたい候補三人のうち二人に諦めがつけば良い返事をする、と約束していた。していたけれど、元彼の騒動の間に気持ちが変わってしまった。
「わかれへんなった。嫌いにはなってないし、連絡くれるのも嬉しいけど……それって何なんやろう、って考えたら、仕事か、って思ったりして」
『それはないって! 仕事でそこまでせんやろ?』
「うん、そこは、信じることにした」
『じゃあ、どうしたん?』
「いや……単純に……悠斗さんも良いなぁ、って……はは」
 以前は勝平との関わりが多かったので彼のほうが気になっていたけれど、悠斗がいる交番を訪ねた日から彼のことも気になりだしていた。莉帆の職場から近いので、待ち合わせて一緒に食事をすることもあった。
『決められへん、てことやな』
「うん。あと、今更やけど……警察っていうのが怖くなってきて」
『……ほんまに今更やな』
 二人と出会ったときは普通の好青年だと思ったし、警察官だと分かったときも特に何も思わなかった。だから気を遣うこともなく接することができたけれど、元彼が逮捕されてから──勝平が手錠をかけるのを想像してしまってから──その姿が格好良いと一瞬思ったけれど──怖くなってしまった。仕事の用事で外出したときに制服の悠斗を見かけることもあって、真剣に仕事をしている姿も少し怖いと思ってしまった。
『でも──好きなんやろ?』
「……うん」
『じゃあ、なおさら引っ越したら寂しくなるやん。やめとき』
「でも、ここにいても、数年後にはあいつが出てくるし……異動願い出すか、転職する。いまの職場はあいつも知ってるから危ないって、悠斗さんも言ってた」
 本当は、このままの生活を続けて、悠斗か勝平と付き合って、もし可能ならばそのまま結婚したい。けれど莉帆はどちらかを選べる状態ではないし、それもとても辛い。だったらいっそ二人との関係を無かったことにして、新たな生活を始めるのも有りかなと思う。寂しいけれど旅行していなければ出会っていなかったし、警察官は莉帆にとっては別世界の人だ。また数年後に元彼のせいで騒ぎになるのも嫌だ。
『決めるのは莉帆やから私は何も言わんけど──、そういうことがあるから、二人は最初、警察って隠してたんやろな。ショックやろなぁ、勝平さん。約束は守りや?』
「うん。とりあえず、気持ちだけはちゃんと伝える」
『怖いってのは?』
「それは黙っとく。仕事モードが怖いだけで、休みの日は平気やし」
 佳織が言っていた通り、警察が怖いと言えば勝平はきっとショックを受けるだろう。彼が警察官だと分かったときに平気だと言っているので、そう言われるのは想定外のはずだ。
 もちろん、莉帆は悪いことをしたわけではないので逃げる必要はないし、むしろ頼りにしたい存在だ。彼らが仕事モードのときに怖い顔を見せるのも仕方ないと思う。それでも普通に暮らしていれば関わることのない警察は、莉帆とは住む世界が違う気がした。
『二人に会う予定はあるん?』
「うーん……会うというか、警察の同期何人かでバーベキューするらしくて、誘われてるんやけど」
 悠斗と勝平を含めた男女混合メンバーのようで、彼らの職業を知っていれば友人知人OKとのことで莉帆も誘われた。警察ではない女性が他にも参加予定らしいので莉帆も行くことにしたけれど、今のところ不安のほうが大きい。そこで勝平と二人で話す機会があるかはわからないし、あったとしても莉帆は彼に〝付き合えない〟と言う可能性もある。それがバーベキューの途中だった場合、終わるまでが辛い。
『勝平さんに聞かれたら、後で、って言って保留しといたら?』
「そうよなぁ。無理、って言ったら終わるまで気まずいしなぁ」
 彼と付き合うと言ったとしても、それが周りに知られるのも違う意味で辛くなるけれど。
『もしさぁ、全然別のイケメンが登場したらどうする?』
「え? それは……警察でってこと?」
『うん、それもあるし、誰かが連れてきた普通の人でも』
 それはそれで、普通の恋愛ができそうなので気は楽になるけれど、この半年で築いてきた勝平や悠斗との関係が無駄になってしまう。新たな出会いが良いものになる可能性もあるけれど、二人と距離ができてしまうのも辛い。何度も助けてもらって相談にも乗ってくれた彼らのことを忘れたくはない。
『てことは莉帆、やっぱりさぁ、異動願いなんか出さんと、どっちかを選ぶべきなんじゃない? 離れても平気なんやったら、普通の人を選んだやろ?』
「う……佳織……どうしよう……ドキドキしてきた」
『え? なに急に?』
「私やっぱり──離れたくない。でも、ここにいるのも怖い……」
『神様はやっぱり、そのこと分かってたんやな』
「神様?」
 神様と聞いて莉帆が思い浮かべたのは、最近ではヨーロッパで目にしたたくさんの彫刻だ。チェコのカレル橋に三十体あったうちの一つ、ヤン・ネポムツキー(ローマ・カトリック教会の聖人)像のレリーフに触れると幸運が訪れると言われているので莉帆も佳織ももれなく触れてきた。その前にはベルギーでも、グラン・プラス(町の中心にある広場)の路地にあるセルクラース(ブリュッセルの英雄)像にきちんと触れてきた。
「でもあの像は神様じゃない……」
『像? 何の像? 春日大社行ったやん?』
「ああ!」
 しあわせに心が満ちる素敵な恋がすぐそこに──。
 夫婦大國社で引いた大吉は、乾いて字は消えてしまったけれど、持ち帰って大切に保管していた。
 莉帆は一人の男性を思い浮かべ、未来を想像してみた。相手に不満はないけれど、不安が多くて決心するまで時間がかかってしまった。
< 17 / 33 >

この作品をシェア

pagetop