ネイビーブルーの恋~1/fゆらぎ~

第22話 つつまれて

「おはようございまぁす」
「おはよーっす……あれ、赤坂、今日、なんかイメージちゃうな?」
 いつもどおり返ってきた鈴木部長の元気な声と、莉帆を見ての疑問。
 莉帆は昨日、地下街のアパレルショップで雰囲気の違う二種類の服を選び、今日はシンプルなほうを着て出勤した。色も地味ではあるけれど、ほんのり品がある。
「今日、デートか?」
「……」
「あっ、ごめん、怒らんといて」
 莉帆は部長にセクハラだと言おうとしてやめた。部長は気まずそうに仕事に戻り、近くで聞いていた部下たちも笑いながら仕事を続けていた。

 勝平は今日は休みのようで、昨夜は食事をしたあとマンションまで車で送ってくれると言っていたけれど、疲れているだろうと思ったので莉帆は断った。もちろん莉帆は彼と一緒に過ごしたかったけれど、休めるときは休んでもらいたい。
「でも、次いつ会えるか」
「勝平も悠斗さんもマンションまで送ってくれるけど、それって……許可取ってるん?」
 加奈子と話しているときに、警察官は自由が少ないといろいろ聞いていた。旅行は滅多に行けないし、県外に行くときも許可が必要になる。勝平は大阪在住で莉帆は奈良在住、どう考えても勝平の管轄外だ。
「莉帆が元彼に襲われたとき、知り合いやから時間合えば送るかもしれん、って話しといた。車やったら一時間あれば戻れるし、いつでも電話に出れる状態やったら良い、って許可もらってる」
「そうなん?」
「まぁ、渋々やったからいつまで許されるかは分かれへんけど」
 莉帆は勝平が送りたいと言うのを拒否はできなかった。幸い、それほど時間は遅くなかったので、彼には少しだけ部屋に上がってもらった。
「莉帆、仕事どうする? 今のとこ行ってたら、また危ないかもしれんからな」
 部屋に入ってから勝平は以前と同じく床で胡座をかこうとしたけれど、莉帆がベッドに座ったので隣に並んだ。
「うん……異動か転職って思ったんやけど、会社で話したら止められた」
「まぁ、そうなるよな。莉帆、実家は和歌山やろ? 戻りたい?」
「ううん。どうかしたん?」
 就職してからずっと大阪市内で働いてきたし、元彼の実家があるのも和歌山だ。何が起こるか分からないので、勝平と付き合っている限りは彼のそばにいたい。彼と会いやすくするのなら、引っ越すとして大阪のどこかだ。
「お願いなんやけど、もうしばらくはここに留まって」
「……なんで?」
「なんでも。引っ越したらあかんとは言わんけど、お願い!」
「なんで? 二年契約やから、あと一年はここにいるけど……なんで? 何かあるん?」
「どうしても! お願い!」
 勝平は長く〝どうしても〟と言っていたけれど、同じく繰り返し聞いてくる莉帆に観念したらしい。勝平は莉帆のほうを向いて真剣な顔になった。
「莉帆とは──結婚前提の付き合いやと思ってる」
「……うん。ありがとう」
「そのときまで、待ってて。お願い」
「……わかった。待ってる」
「ありがとう。ごめんな、なかなか会える時間なくて」
 勝平にふわっと抱きしめられ、莉帆は思わず目を瞑った。大好きな匂いに包まれて、もっと近くに感じたくて、彼の背中に腕をまわしてぎゅっと引き寄せた。身体が鍛えられていることは服の上からでもわかり、想像してしまう。
「今度ゆっくりデートしような。それまでは──」
 勝平に耳元で囁かれ、続きが気になって顔を上げると唇を塞がれた。彼の力強さとは逆にとても優しくて、温かかった。吐息が混じり、いつの間にかお互いに柔らかい感触を確かめ合っていた。
 莉帆は今まで、彼がイケメンだと意識したことはなかったけれど。
(えっ──なに、この表情(かお)──!)
 唇が離れた一瞬に見た彼の表情には大人の色気しかなかった。そのあまりにも整った顔立ちに初めてドクンと脈を打っている間に、完全にリードを許してしまっていた。
 勝平は長らく彼女がいなかったと言っていたし、莉帆は元彼としていたけれど、最後のほうはほとんど嫌だった。元彼はいま檻の中で、捕まえたのは勝平だ──彼は莉帆の唇を噛んで、舌先で唇を──再び見えた彼の表情に莉帆はとうとうハートを射貫かれてしまった──、勝平のことは以前から好きだったし、元彼がいなくなってようやく彼との未来を考えようと思えていた。好きな相手とのキスは本当に幸せだった。
 だから莉帆は勝平の欲求には応えたくて──いつの間にか入ってきていた舌の動きは少し乱暴だったけれど──それでも全く嫌にはならず、むしろ蕩けそうな感覚と脳の痺れを楽しんでいた。力が抜けてしまう前に莉帆は彼のシャツを強く握り──やがて意識は途切れた。
「……莉帆……? 莉帆……大丈夫か?」
 気がつくと莉帆は勝平の腕にすっぽり収まっていた。見上げたところにあった彼の顔は、見慣れたいつものやつだ。
「なんか……くらくらしてる……」
「ははっ。酸欠やな。そんなに良かった?」
「うん……なんか、急に勝平がオトコに見えた……」
「正真正銘の男やけどな? いまだって──押し倒したいの我慢してんやからな?」
 勝平が莉帆を家まで送ると言ったときから、そんな気はしていた。本当のことを言うと、莉帆も少しだけ期待していた。実際に求められていたら拒否した可能性はあるけれど、せめてこうしてゆっくりと彼の腕の中に入っていたかった。
「勝平……私の何が良いん? 別に何も良いとこないと思うんやけど」
「──そんな、俺が見る目ない、みたいなこと言うな」
「じゃあ──なに?」
「中島に聞いたんやろ?」
「えっ……、あれだけ? 私が英語……。勝平と英語で喋れば良いん?」
 まさか、とは思うけれど。
「俺が本気で喋ったら、着いてこられへんやろ」
「むぅ……」
 莉帆が口を尖らせていると、勝平が再び優しく口づけてきた。離れてから、照れくさそうに笑った。
「それは莉帆に話しかける前のことやな。話しかけたら、テンション低かったけど普通に話してくれてた。まずそれが嬉しかったな」
 だいたいの女の子には緊張されるから、外見が好みだとしてもなかなか告白する気になれなかったらしい。
「それに莉帆、気付いてないみたいやけど、……そもそも……可愛いからな?」
「えっ、そんなことない」
「いーやっ、可愛い。悠斗も言ってたし。バーベキューのときも、彼女おらん奴らに狙われてたんやぞ」
 莉帆はふと、会社の俊介のことを思い出した。同僚男性の中では彼がいちばん年齢が近いのもあるけれど、確かに莉帆のことを意識しているように見える。
「プラハのレストランで、莉帆が男から逃げてるって聞いて……守りたくなった。あの頃から気になって……いつの間にか好きになってたな」
 それには莉帆がときどき話した〝外国人とのエピソード〟が面白かったことも影響しているらしい。一般人ならともかく、出国審査官にイラッとするのは──やめた方がいい。

 昼休み、莉帆はまた先輩たちに捕まってしまっていた。服のことも聞かれたけれどそれは自分で買ってきたし、デートの予定もない。イケメン二人とはどうなったのか、と聞かれて制服姿の勝平が浮かんだけれど、それは今は伝えるべきではない。昨夜のことも思い出してしまったけれど、それこそ秘密だ。
「ちょっと前から、付き合ってます」
「わぁー、良かったー、どっちどっち?」
「……最初にドタキャンしたほうです」
 確かにドタキャンされたけれど、彼の仕事を考えると今なら納得できる。地域の安全を守ろうと頑張っている彼に、どうして仕事を優先するのか、なんて絶対に言いたくない。
「写真あるんやろ? 見して」
 莉帆はしばらく悩んでから、写真だけなら良いか、と思って最初に撮った四人での写真を見せた。旅行のあと最初に集まって居酒屋に行ったときだ。
「うわっ、なにこれっ、イケメンすぎん?」
 莉帆が勝平のところを少しだけ拡大して出した写真を見て、女性たちは盛り上がっていた。私もこんなイケメンと結婚したかったとか、何を食べたらこんな顔になるんだとか、こんな現実があるのかとか、莉帆が羨ましいようで興奮が止まらない。顔の部分を拡大しだして、肌艶までチェックする始末だ。
「なんでこっちにしたん? もう一人も良いやん?」
「そうなんですけど、いろいろあって……」
 悠斗とはバーベキューから会っていないけれど、年が明けてすぐ退職することになったと連絡をもらっていた。送別会も計画されているようで、年末年始の忙しい時期を避けて同期たちでまた集まるらしい。
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