身代わりで嫁いだお相手は女嫌いの商人貴族でした
 ドッドッドッドッ……

 アウグストは「少し席を外します。ご歓談を」と人々に笑顔で一礼をして、控室に入った。そこは、誰も来ない部屋で、彼とアメリアが「何かあった時の休憩用に」と用意をした部屋だ。

「はっ……あっ……」

 大きく息を吐き出す。額に脂汗が浮く。それをぐいとぬぐって

「くそ……信じろ。信じろ……」

 と呟くアウグスト。思い出すのは、醜悪なヒルシュ子爵の言葉。

――お前もよく結婚まで持ち込んでくれた。よくやったな。さすがわたしの娘だ――

――お前は頑張れる子だ。たった一か月でうまく振る舞えるようになったし、わたしの見込み通りのことをやってくれた――

――今後も侯爵に気に入ってもらえるよう、うまくやるんだぞ。お前があの男に可愛がってもらえるならば、可愛いお前を嫁に出した甲斐があるというものだしな――

 そのどれも、彼女は何の反論もせずに聞いていた。だが、反論をしないだけで、彼女はそれに対して賛同もしていなかった。わかっているのだ、本当は。

 それでも、彼は彼女を信じきれなくなってしまう。本当はすべてが嘘だったのではないかとすら思う。もしかしたらヒルシュ子爵家で虐げられていたと言うのも「そう見せかける」ためのものだったのでは……そんな風に疑う自分を叱責する。

(落ち着け。落ち着け。彼女は悪くない……だが……)

 思い出す記憶。それは過去のものだ。彼が脳内で忘れたいと思っていつでも追いやっていた、あの記憶。

 まるであの時と同じではないか。父と娘。欲をかいた父が言うように媚びへつらい、自分に気がある素振りをする娘。それへ、心を許した自分を、彼は情けないとも、腹立たしいとも思う。その、己に対する怒りまでもが再びこみあげてくる。

 同じなのか。同じことを繰り返しているのか。いや、そうではない……アメリアはそうではない。わかっているのに、それをどこかで信じきれない自分がいる。

「いい加減にしろ、まったく、いい大人が……」

 アウグストは呻いた。だが、鼓膜にこびりついたようにヒルシュ子爵の言葉が大きくなっていき、それは記憶の中の「あの」父親の言葉、そして、同じく「あの」彼女の言葉へとすり替わっていく。違うとわかっているのに。それでも彼女をどうしても疑ってしまう。

 なんてことだ、と彼は頭を抱えた。

「自分だって……自分だって、彼女を金で買ったんだろうが……!」

 呟いたその言葉はあまりに空虚で、彼の心にぽっかりと穴をあけた。そうだ。自分は彼女を金で買ったのだ。わかっている。わかっているのだ……。
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