ジングルベルは、もう鳴らない
「あ、僕はJRなので。ここで」
「そうなんだ。僕ら(・・)は浅草せ」
「あぁそうですよねぇ。私も、実は戸越なんですよ。お店から、ちょっと離れてますけど」


 え、と驚いた顔をした斎藤に、必死にアイコンタクトを飛ばす。彼の店は戸越
樹里の家も戸越。それは大樹も知っているし、同じ駅に帰ることはおかしなことではない。けれど、それ以上のことを知られたくなかった。あぁ、といった顔をしてから、斎藤が頷く。大丈夫。大樹は何も感じていない。


「じゃあ、お疲れ様でした」
「お疲れ様」


 大樹は、いつものように軽く手を振った。二人を見送る彼に「じゃあね」と笑って、僅かに違和感を覚えた。樹里は、今気付いたのである。ここからは、斎藤と二人で帰るということに。電車も一緒。降りてからマンションまでも、いや部屋の前まで一緒なのだ。どうして気付けなかったのか。あぁ、先に見送れば良かった。変に意識してはいけない。ここから、部屋の扉を閉めるまで一時間弱。ぎこちなくてもいいから、微笑んでいたい。未練たらしい女心が、そう言って笑った。

 斎藤はいつものように、穏やかに話し掛けてくれる。ドキドキしているのは、樹里だけ。彼は何も感じていないはずだ。二十センチほど高い肩と並んで歩き始める。手を繋ぐわけでもない。ただ胸がドキドキして煩いだけだ。大樹や同僚といる時のように、何も考えなければいい。自然に、自然に。恥ずかしくて、斎藤のことが見られない。乙女かよ。視線はぎこちなく泳いで、つま先ばかり見ていた。


「樹里」
「はい。え、はい……?」
「樹里」


 伏せた目を持ち上げる。淡く弾んでいた心が、一気に青褪めた。どうして? 今更、彼がここへ。
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