ジングルベルは、もう鳴らない
「一人になって、初めに感じたのは不安でした。彼と結婚する未来を、少しでも見てしまったから。この先、一人でどう生きて行けばいいんだろうって。でも今は、一人でいいって思えるようになった」
「あ、そっか。前に言ってたよね。結婚しなきゃダメかって」
「はい。あれから仕事も忙しいですし、今回の件でこりごりというか。幸せだって、結婚の隣にしかないわけじゃない。さっきだって、皆が傍で背を押してくれて、本当に力強かった。それで幸せだなぁって思ったんです」
「そうかぁ……まぁ確かに、幸せなんてどこにでもあるよね。結婚しないと見えないものも、きっとあるんだろうなぁとは思うけど」


 グズグズと鼻を鳴らしながら、樹里は斎藤を見つめた。昼間よりもラフな格好をして、そっとブンタを撫でている。冷たい風が小さく吹いて、彼の前髪が揺れた。


「前におっしゃってましたよね。大切な人の最期の時に傍にいられるかどうか。それは確かにって、私も思うんですけどね」
「そうなんだよ……そうなんだよねぇ。でも、そう上手くいかないものです」


 斎藤には、今思い描いている人がいる。彼女がいるとハッキリ聞いてしまえば、心の整理が付けられるかも知れない。今夜、全てをクリアにするのも一つだろうか。でも、分かっている。そうする勇気など、きっとない。これからも仕事で顔を合わせねばならない彼に、自らフラれに行かなくてもいい。冷静な自分がそう呟いた。彼が結婚してしまうまで、この気持ちを淡く淡く持ち続けるくらい許されるのではないか。これは恋じゃないと思ってみたり、好きだと感じてみたり。右に左にブレる気持ちは、定まってくれない。そういうのもきっと、女心なのだと思う。

 ただ一つだけ気掛かりなことがある。もし、彼が結婚してしまったら? 樹里は落ち込むだろうし、泣きもするのだろう。それでも、おめでとう、と笑わなくちゃいけない。覚悟をしておかねばならないことだ。でも許されるのならば、もう少しこのままでいたい。彼とヒロミの仲は、樹里には分からないこと。それに、彼の言い方には『自分はそう思っているけれど』という含みがあった。もしかしたら、ヒロミが結婚をしたくないとか思っているかも知れない。今は、あれこれ妄想をして、勝手に不幸になることは避けたい。仕事がしにくくなるのだけは、ごめんだ。こちらから詮索をし過ぎないように、この関係を保ちたい。顔を持ち上げ見た斎藤は、いつものように穏やかな笑みを見せた。
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