ジングルベルは、もう鳴らない
「もう思い出したくもないのに……」


 それでも、蘇る記憶があるのは仕方がない。別れた時から、一番怖かったのはこの季節が来ること。嫌でも耳にしてしまうジングルベルを、回避する術などないのだ。千裕を忘れられても、アレが鳴らなくなることはない。あの陽気な声に締め付けられ、心は抜け出せなくなっていた。


「前世で何か悪いことしたんかなぁ」


 あんな陽気な曲に、こんなにも苦しむ人間は他にいないと思っている。楽しくて、幸せの象徴のような曲だ。樹里には、苦しくて仕方のない曲だとしても。もう嫌だ、と両手で顔を覆う。どうしてもあの曲が頭の中で鳴り始めると、苛々してしまうのだ。そして、急にセンチメンタルな気持ちになる。もう今夜はダメだ。樹里はそのままゴロンと横になった。

 そんな時、急に部屋の呼び鈴が鳴る。こんな遅い時間に、一体誰? ジングルベルで湧いていた苛立ちが、徐々に大きくなる。無視すればいいかも知れないが、それはそれで気味が悪い。モニターで相手を確認するくらいはしておこうか。ゆっくりと起き上がり、重たい体を引き摺ってモニターを睨んだ。ぼんやりと歪む視界の中に映ったのは、ペコペコと頭を下げる斎藤。一体何事か。暗い気持ちをすぐに押し込めて、今開けます、と鼻声で応答する。そして、目の周りを拭いながら玄関へ駆けた。
< 90 / 196 >

この作品をシェア

pagetop