婚約破棄?   それなら僕が君の手を
 時々、王太子執務室に貴族達が陳情に訪れる。陳情する内容は大したことではなく、一緒に連れてきた令嬢の売り込みが目的である。そんなふうに突撃してくるのは高位貴族で、王太子としても無碍にできない。
 そういう場合リシェルは客人にお茶を出し、殿下の側に控えている。美しいリシェルがいる事で令嬢に闘争心を無くしてもらうのが目的だが、いつのまにか『殿下は男色らしい』という噂が出てきたので、それは慌てて否定した。ジェシー以下ケント公爵家がクレームを入れてきたからである。それ以来、客人にお茶を出した後は近衛騎士の横にいるようにしていた。

 その日の客人はゲイツ侯爵と令嬢だった。
 やはり陳情内容は些末な事で、あとは延々と令嬢のことを売り込んでいる。
「我が領地では薔薇の栽培に取り組んでおりまして、娘もそれに携わっております。今日の香水もその薔薇から作られたものでございます。いかがですか?」
侯爵は香水が入った小瓶を差し出して、滔々と語り続けている。令嬢は気の強そうな印象だが、アントンの妹セイラとはまた違った雰囲気だ。なんというか周りを見下しているような、それでいて殿下の事は熱い目で見ている。
 薔薇?とリシェルは思った。子供の頃に父についていった視察を思い出す。ゲイツ侯爵家はあの時に訪れたテイラー伯爵家の隣りの領地だ。あの辺りは薔薇の栽培に適した気候なのだろうか。リシェルは当時の記憶に浸っていて、侯爵たちのその後の話は聞き逃してしまった。
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