婚約破棄?   それなら僕が君の手を
 しばらくすると、ジェシーがゲイツ侯爵を伴って部屋に入ってきた。王太子を見とめた侯爵は喜んだ表情をしたが、テイラー伯爵がいるのを見ると、眉間に皺を寄せて
「ここはゲイツ家に用意された部屋のはずですが、何事ですかな。」
と王太子に問いかけた。

 ジェシーはまた会場に戻るようで、部屋を出る時に、リシェルとアントンに目配せをしていった。会場ではセイラがジョルジュの姉と会話しているはずだ。

 ゲイツ侯爵を長男の隣りに座るように促すと
「では。」
と王太子カイトが話し出す。チラリと視線をリシェル達の方に向けたのを見て、リシェルはアントンの後ろに置いてあった板を持ち上げた。板には紙が数枚、針で留められている。筆記用具を制服のポケットから取り出して、これから起こる事を書き留める。それが、ここからのリシェルの役割だった。
 ジョルジュはリシェルに気づくと
「何故、王宮府の職員がいるのですか?」
と王太子にたずねている。眼鏡をかけたリシェルが先程愛を囁いていた女性だとは微塵も気づいていない。
「彼はケント公爵家の子息でしたかな。以前、殿下の執務室に控えておられたと記憶している。」
ゲイツ侯爵はリシェルのことを覚えていた。公爵家の事を立てて言葉遣いには気をつかっているようだ。
「ええ。彼は優秀なので、財務省から借り受けて私の仕事を手伝ってもらっているのです。」
王太子カイトは微笑んでリシェルを見てからルーナの方を向いた。今日のルーナの衣装は舞踏会の為ではないので華やかさはないが、淡いピンクの濃淡が綺麗なドレスだった。
「テイラー伯爵令嬢、素敵なドレスを着ているね。まるで薔薇の妖精のようだ。」
カイトがルーナのドレスを褒めている。全くその通りだ、とリシェルは思ったが、カイトに先に言われてしまったことはちょっと悔しい。思わず口が尖ってしまう。横にいるアントンが脇腹をつついてきたので、慌てて無表情を取り繕った。
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