きみの雫で潤して

第45話 光が見えるその向こうへ

目覚まし時計が顔の目の前で鳴っていた。
二度寝して、棚から移動していた。

見えなくても、
アラーム音は確実に聞こえるのだ。

ベッドの上、いつ間にかふとんが遠いところに行ってしまっている。
寒いはずなのになぜ蹴飛ばしてしまうのか
自分の行動は不思議で仕方ない。


「杏菜?時間だぞ、行かないのか。」

 台所で朝ごはんを作っていた湊人が
 寝室に様子を見に来た。

 いつも通りの日常を取り戻しつつある。
 お互いに山登りをしてからというもの
 心身ともに健康的になってきた。
 食欲もあるし、やる気もある。
 毎日、充実した日を過ごしている。
 ただ、まだ杏菜の目は
 見えてないことだけがひっかかる。

 先日、SEE GLASSESの試着を
 してからというもの、
 杏菜は湊人に対してよそよそしく
 なっていた。話しかけてても、
 返事はするが、そばに寄りたがらない。
 半径1mは近づくなオーラを出してる
 みたいで、逃げていく。
 湊人は気になって仕方ない。
 会話はいつも通りにできるのに。

「なぁ、着替えた?
 俺、今日も帰り遅くなるんだけど、
 適当にご飯食べれるか?
 それとも堀込さん呼ぶ?」

 ドア越しに声をかける。

「うん、大丈夫。
 1人で平気だから。心配しないで。
 引き出しに入ってるレトルトカレーでも
 食べておくから。」

 気持ち的に意欲を増した杏菜は、
 だんだんと自炊ができるようになった。
 レンジでチンくらいは平気だ。

「ああ、そう。
 わかった。
 悪いけど、時間だからもう行くぞ。
 テーブルに朝ごはん置いてたから。」

「うん。わかった。」

とっくの昔に着替え終わっていた杏菜は
特に何をするでもなく、ベッドの上に
腰掛けて時間を潰していた。

極力、湊人との接触を避けたかった。
あの時見えた湊人を思い出すだけで
どうにかなりそうだ。
記憶は鮮明で、久しぶりに見えた景色からか
忘れられなくなる。

いっそのこそ、前の金髪の方が心落ち着くのにと感じた。黒髪だと好青年しすぎて、世の中の女性が放っておかないんじゃないくらいだ。

抱き枕にしていたぬいぐるみをぎゅっと
にぎりしめた。

お腹なんて空かない。

食べている余裕なんてないくらいだ。

湊人が玄関のドアを開けて出ていくのが
聞こえた。

本当はすぐにでも駆けつけて
行かないでと後ろから
抱きしめたいくらいだ。
恋人ならそうしているのかもしれない。

近くにいるのにそばにいない。


いつになったら
湊人のそばにいられるんだろうと
考えながら
玄関に置いていた白杖を持って外に出た。



⬜︎⬜︎⬜︎

「杏菜ちゃん?!
 久しぶり。やっと会えたよ。
 ここに来てたのは知ってたけど、
 私が全然来れなかったの。」

 ブルーベリーの施設に着いてすぐに
 結子に声をかけられた。
 結子は湊人が作った
 SEE GLASSESのモニターだった。
 日常的に機械を使用していて、
 完全に杏菜のことは見えている。
 まだ、初期モデルのため、
 VRゲームしているようだ。

 視力補助として使用してるにも関わらず、
 突然、シューティングゲームやり始めた。
 杏菜は、結子にぶつかりそうになる。

「ごめんね。
 今、これにハマってて。超、面白いよ。
 銃でゾンビ倒したり…白いお化け倒したり
 生まれて初めてだよ。これ。
 映画で見たのと一緒って興奮するね。
 そういえば、杏菜ちゃんはつけないの?
 見えないのは不便じゃない?」

 先天盲目の結子にとっては、
 見えるということは奇跡に近い。
 本当は2時間おきに休憩をはさむのを
 長時間ずっと装着していた。
 ゲームに夢中のようだった。

「私は…まだいいかな。
 ちょっとね。」

「なんで?
 だって、SEE GLASSESの
 製作者一ノ瀬湊人さんって 
 杏菜ちゃんと一緒に暮らしてる人
 でしょう? 
 私より先にこれを使うと思ってたよ。」

 杏菜は結子の前で黙って立っていた。
 なんとも言えない表情だ。


「ん?何か物言いたげそうだね。
 わかった。ゲームやめて、
 杏菜ちゃんの話聞くね。
 郷子さん!談話室に行ってきていい?」

「結子ちゃん、
 ちゃんと部屋片付けてからにしてね。」

「はーい。」

 ゲームに夢中になっていた結子は
 足元が見えなくなるのかゴミ箱や
 マガジンラックなどあらゆるものを
 散らかしていた。

 場所の感覚までを狂わせるようだ。

 ゲーム機能のスイッチをオフにして
 散らかったティッシュのゴミなどを
 丁寧に片付けていた。

「ほら、杏菜ちゃん。行くよ!」

 片付けを終えてすぐに杏菜の腕を
 引っ張って、結子はロビーを抜けて
 談話室へ向かった。

 目が見える結子はとても頼もしかった。

 ヘルパーのスタッフは結子が
 見えるようになって本当に安堵していた。

「結子ちゃん、
 あんなにはしゃいで嬉しそうですね。」

「そうね。あの機械は充電式だから
 こまめに声かけないと
 使えないってなったときに
 結子ちゃんが駄々こねないか心配だわ。
 様子見ててね。」

「はい、わかりました。
 注意します。」

 施設長とヘルパーの郷子が、
 ホールの大きな掃除機を動かしながら、
 話をしていた。


 SEE GLASSESを使用するようになって
 ブルーベリー施設の利用者の
 半分の人は見えるようになり、
 スタッフの仕事もやりやすくなっていた。
 労働の負担軽減に役に立っている。



 談話室で笑い声が響いていた。
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