推しのためなら惜しけくも~壁打ち喪女最推しの特撮俳優は親友の息子で私に迫ってきます
21 推しの撮影現場
美田については遙花も言及した。
「美田さんと一緒に仕事をする機会はそう遠くないわ。それよりも明日のお仕事ね。更紗さん、今日はもう上がっていいわ」
「わかりました。お疲れ様です」
「送ってくよ」
立ち上がろうとする蒼真を更紗が止めた。
「ダメですよ。もう同じ事務所なんだから、ね。また明日会いましょう」
「わかった。また明日」
更紗が先に社長室を出て、遙花と蒼真が居残った。
「サラが良識ある大人で良かったわ。あなたもヒーローなら一般人の惚れた女一人、守ってみせなさい」
微笑みを浮かべて遙花が蒼真に告げるが、目は笑っていない。
「もちろんです」
「ようやく再開できて我慢できなくなる気持ちもわかるけどね」
「大丈夫です。ずっと待っていたんです。まだ待てますよ」
遙花は口に出さなかったが、こうも思う。
(本当はね。更紗さんのほうがよほど困惑しているのよ。私だって同じ立場なら、推しが自分のことを好きだなんて信じたりしないもの)
「あなたも明日のロケに備えて。最終回より前に映画の収録は始まるんですからね」
「わかりました」
蒼真も部屋から出て、退勤の準備を始めた。
(男の子にはわからないでしょうね。三十代半ばってね。焦燥感半端ないのよ。いえ、更紗さんはある種の諦め、いっそあなたの夢と心中するつもりかもね)
遙花は更紗のことが他人事とは思えない。
傍から見ればある種のシンデレラストーリーにも見えるかもしれないが、現実は残酷だ。人気特撮俳優と地方在住OL。住む世界が根本的に違う。見える光景から何から何まで、違う。
普通の人間なら、そんな夢物語のために東京と関西を往復なんてしない。
(かつて面倒を見た子供、というのが更紗さんの選択肢を狭めている。そこまで割り切れないわよね)
今は周囲が蒼真のために、全力で力を貸している。更紗のためではないのだ。その事実が更紗を軽く追い詰めている。
それは社長である遙花も同じ事がいえる。
(きっと蒼真は更紗のもとから旅立つ。そうならない確率は宝くじをあてるぐらいとおなじでしょうね。そんなこと、更紗さん自身がよくわかっている。わかっていないのは蒼真だけ)
それでも、と遙花は思い直す。
(年下俳優と一般OLの恋愛。そんな夢があるおとぎ話が一つぐらいあってもいいじゃない。私はそう思っていますよ。更紗さん)
溜息をついたあと、またあの言葉を呟いた。
「惜しげくもなし。年齢って残酷よね。あーあ。私も年は取りたくないわ」
遙花は自分のカップに紅茶を注ぎ、遠い目をしながら窓の外をぼんやり眺めるのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ロケバスに乗り、ロケ地に向かうガントレットストライカー紫雷スタッフ。
更紗は、市街地で暴れまくる怪人たちに襲われる市民という役柄だ。服装は一般人そのもの。メイクも自前のみだ。
階段付近の踊り場で歩いているエキストラたち。更紗もその一人だ。
合図とともに、決められた台詞を叫ぶ。
「きゃあー」
「うわぁー」
悲鳴をあげながら逃げ惑う一同。
「はいカット!」
今日の出番はこれで終わりだ。これだけで1時間近くかかっている。
「お疲れ様でした」
マネージャーの律子がペットボトルを差し出してくれる。
「ありがとうございます」
「私に敬語はいいですよー」
「そうもいかなくて。でも今日は生収録を間近で見学できるんですから、役得ですね!」
「相変わらずですね。ええ。しっかりと眼に焼き付けてください。後学のためにも!」
「そうでした!」
自分にも無口とはいえ、名前があるキャラが与えられる。
改めて震え上がるような気持ちになる。
(でも…… でも……! 目の前に二大ヒーローがいるの!)
「くそ。プネウマを取り込んだヤツは無敵か!」
胸を押さえた蒼真が呻いている。
(これってネタバレじゃん!)
見学中、そわそわする更紗。特撮好きの血が沸き立っているのだ。
「そんなところで倒れるのか秋月環? お前を倒すのは――この俺だ!」
健太が演じる村雲疾風が登場し、蒼真の前に仁王立ちする。
「まだ装着できるだろう。戦う意志がないならすっこんでろ」
「やってやるさ!」
二人は同時に同じポーズを取り、叫ぶ。
「装着!」
「装着!」
手甲をはめ、仁王立ちする。
「はい。カーット! お疲れー。いいよー。二人とも! リハよりもよくなっているよー!」
監督が二人の演技を褒める。まめに褒めて役者を育てるタイプの監督のようだ。
(うわぁ。今すぐ家に帰ってラフ切りたいー)
生で収録現場をみる衝撃に、心ここにあらずという感じの更紗に対し、心配して顔を覗き込む律子。
「大丈夫ですか? 本当に特撮大好きなんですね」
「明日死ぬかも……」
「死なないでくださいね。誰がダークウィドウやるんですか」
「し、死ねない……」
「ほら。あれをみてください。倒れないでくださいね」
「ふぁー」
律子が告げたあれ。
それは垓が演じるガントレットストライカー紫雷とライバルのガントレットストライカー嵐牙が並び立っているのだ。
(垓さんだー!)
特撮オタたる者スーツアクターのチェックも余念がない。
「ガン見してる……」
いささか律子が引いている。
「は。いけないいけない。演技を学ばないと」
「そうですね」
慌てる更紗に苦笑で返す律子。いささか暴走しすぎたようだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「マネージャー。サラさん!」
蒼真と健太が小走りに寄ってきた。
「お疲れ様です。ソウさん」
「お疲れ様ですー」
「紹介するよ。村雲疾風役の荒上健太だ」
「健太です。よろしくお願いします。サラさん」
片目でウィンクする健太。どうやら二人は示し合わせたらしい。
「はじめまして。マークシープロダクション新人の黒沢サラです。今後ともよろしくお願いします」
深々と頭を下げる更紗。周囲のスタッフは彼らがここで初対面だと思うだろう。
二人はそれが狙いだった。蒼真だけならいざ知らず、事務所の違う健太や垓まで知人だと、スタッフから変な噂が出る場合だってある。この挨拶でアリバイ作りは完了だ。
「どうだった? 俺たち」
「最高でした! ソウさんも健太さんも!」
更紗の心からの賛美に、二人も微笑む。
「だろ?」
「嬉しいですね」
「次は私が悪として二人の前に立ちはだかりますね!」
くすっと笑って、冗談を言う余裕まででてきた更紗。
「ああ。必ず救ってみせる」
秋月環の演技かかった口調で蒼真が宣言する。
「倒すんじゃないんだな!」
二人の掛け合いはいつものまま。
(本当に私、この現場に入るんだ。ちょい役だなんていわない。全力で、命を賭けないと!)
「映画の撮影、楽しみ」
「サラさんは肝が据わってるなあ。普通、緊張で死ぬんだよ?」
「嘘。やっぱり緊張で死にます」
「こら健太。あまりサラさんを脅かすんじゃない」
「ごめんてー」
何故か最後だけ関西弁で謝罪する健太。
「打ち合わせで上京する機会も増えるからよろしくお願いします」
「了解。待ってるから」
「俺も。いい映画にしような」
先に戻るバスに乗り、二人に手を振り別れる更紗。二人は別シーンの収録がある。クランクアップはまだ先だ。
現実感のない、しかし彼女にとっての幸せが撮影現場に詰められていた。
「美田さんと一緒に仕事をする機会はそう遠くないわ。それよりも明日のお仕事ね。更紗さん、今日はもう上がっていいわ」
「わかりました。お疲れ様です」
「送ってくよ」
立ち上がろうとする蒼真を更紗が止めた。
「ダメですよ。もう同じ事務所なんだから、ね。また明日会いましょう」
「わかった。また明日」
更紗が先に社長室を出て、遙花と蒼真が居残った。
「サラが良識ある大人で良かったわ。あなたもヒーローなら一般人の惚れた女一人、守ってみせなさい」
微笑みを浮かべて遙花が蒼真に告げるが、目は笑っていない。
「もちろんです」
「ようやく再開できて我慢できなくなる気持ちもわかるけどね」
「大丈夫です。ずっと待っていたんです。まだ待てますよ」
遙花は口に出さなかったが、こうも思う。
(本当はね。更紗さんのほうがよほど困惑しているのよ。私だって同じ立場なら、推しが自分のことを好きだなんて信じたりしないもの)
「あなたも明日のロケに備えて。最終回より前に映画の収録は始まるんですからね」
「わかりました」
蒼真も部屋から出て、退勤の準備を始めた。
(男の子にはわからないでしょうね。三十代半ばってね。焦燥感半端ないのよ。いえ、更紗さんはある種の諦め、いっそあなたの夢と心中するつもりかもね)
遙花は更紗のことが他人事とは思えない。
傍から見ればある種のシンデレラストーリーにも見えるかもしれないが、現実は残酷だ。人気特撮俳優と地方在住OL。住む世界が根本的に違う。見える光景から何から何まで、違う。
普通の人間なら、そんな夢物語のために東京と関西を往復なんてしない。
(かつて面倒を見た子供、というのが更紗さんの選択肢を狭めている。そこまで割り切れないわよね)
今は周囲が蒼真のために、全力で力を貸している。更紗のためではないのだ。その事実が更紗を軽く追い詰めている。
それは社長である遙花も同じ事がいえる。
(きっと蒼真は更紗のもとから旅立つ。そうならない確率は宝くじをあてるぐらいとおなじでしょうね。そんなこと、更紗さん自身がよくわかっている。わかっていないのは蒼真だけ)
それでも、と遙花は思い直す。
(年下俳優と一般OLの恋愛。そんな夢があるおとぎ話が一つぐらいあってもいいじゃない。私はそう思っていますよ。更紗さん)
溜息をついたあと、またあの言葉を呟いた。
「惜しげくもなし。年齢って残酷よね。あーあ。私も年は取りたくないわ」
遙花は自分のカップに紅茶を注ぎ、遠い目をしながら窓の外をぼんやり眺めるのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ロケバスに乗り、ロケ地に向かうガントレットストライカー紫雷スタッフ。
更紗は、市街地で暴れまくる怪人たちに襲われる市民という役柄だ。服装は一般人そのもの。メイクも自前のみだ。
階段付近の踊り場で歩いているエキストラたち。更紗もその一人だ。
合図とともに、決められた台詞を叫ぶ。
「きゃあー」
「うわぁー」
悲鳴をあげながら逃げ惑う一同。
「はいカット!」
今日の出番はこれで終わりだ。これだけで1時間近くかかっている。
「お疲れ様でした」
マネージャーの律子がペットボトルを差し出してくれる。
「ありがとうございます」
「私に敬語はいいですよー」
「そうもいかなくて。でも今日は生収録を間近で見学できるんですから、役得ですね!」
「相変わらずですね。ええ。しっかりと眼に焼き付けてください。後学のためにも!」
「そうでした!」
自分にも無口とはいえ、名前があるキャラが与えられる。
改めて震え上がるような気持ちになる。
(でも…… でも……! 目の前に二大ヒーローがいるの!)
「くそ。プネウマを取り込んだヤツは無敵か!」
胸を押さえた蒼真が呻いている。
(これってネタバレじゃん!)
見学中、そわそわする更紗。特撮好きの血が沸き立っているのだ。
「そんなところで倒れるのか秋月環? お前を倒すのは――この俺だ!」
健太が演じる村雲疾風が登場し、蒼真の前に仁王立ちする。
「まだ装着できるだろう。戦う意志がないならすっこんでろ」
「やってやるさ!」
二人は同時に同じポーズを取り、叫ぶ。
「装着!」
「装着!」
手甲をはめ、仁王立ちする。
「はい。カーット! お疲れー。いいよー。二人とも! リハよりもよくなっているよー!」
監督が二人の演技を褒める。まめに褒めて役者を育てるタイプの監督のようだ。
(うわぁ。今すぐ家に帰ってラフ切りたいー)
生で収録現場をみる衝撃に、心ここにあらずという感じの更紗に対し、心配して顔を覗き込む律子。
「大丈夫ですか? 本当に特撮大好きなんですね」
「明日死ぬかも……」
「死なないでくださいね。誰がダークウィドウやるんですか」
「し、死ねない……」
「ほら。あれをみてください。倒れないでくださいね」
「ふぁー」
律子が告げたあれ。
それは垓が演じるガントレットストライカー紫雷とライバルのガントレットストライカー嵐牙が並び立っているのだ。
(垓さんだー!)
特撮オタたる者スーツアクターのチェックも余念がない。
「ガン見してる……」
いささか律子が引いている。
「は。いけないいけない。演技を学ばないと」
「そうですね」
慌てる更紗に苦笑で返す律子。いささか暴走しすぎたようだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「マネージャー。サラさん!」
蒼真と健太が小走りに寄ってきた。
「お疲れ様です。ソウさん」
「お疲れ様ですー」
「紹介するよ。村雲疾風役の荒上健太だ」
「健太です。よろしくお願いします。サラさん」
片目でウィンクする健太。どうやら二人は示し合わせたらしい。
「はじめまして。マークシープロダクション新人の黒沢サラです。今後ともよろしくお願いします」
深々と頭を下げる更紗。周囲のスタッフは彼らがここで初対面だと思うだろう。
二人はそれが狙いだった。蒼真だけならいざ知らず、事務所の違う健太や垓まで知人だと、スタッフから変な噂が出る場合だってある。この挨拶でアリバイ作りは完了だ。
「どうだった? 俺たち」
「最高でした! ソウさんも健太さんも!」
更紗の心からの賛美に、二人も微笑む。
「だろ?」
「嬉しいですね」
「次は私が悪として二人の前に立ちはだかりますね!」
くすっと笑って、冗談を言う余裕まででてきた更紗。
「ああ。必ず救ってみせる」
秋月環の演技かかった口調で蒼真が宣言する。
「倒すんじゃないんだな!」
二人の掛け合いはいつものまま。
(本当に私、この現場に入るんだ。ちょい役だなんていわない。全力で、命を賭けないと!)
「映画の撮影、楽しみ」
「サラさんは肝が据わってるなあ。普通、緊張で死ぬんだよ?」
「嘘。やっぱり緊張で死にます」
「こら健太。あまりサラさんを脅かすんじゃない」
「ごめんてー」
何故か最後だけ関西弁で謝罪する健太。
「打ち合わせで上京する機会も増えるからよろしくお願いします」
「了解。待ってるから」
「俺も。いい映画にしような」
先に戻るバスに乗り、二人に手を振り別れる更紗。二人は別シーンの収録がある。クランクアップはまだ先だ。
現実感のない、しかし彼女にとっての幸せが撮影現場に詰められていた。