離縁予定の捨てられ令嬢ですが、なぜか次期公爵様の溺愛が始まりました2
   *

 セドリックにとって三週間の長期休暇をもぎ取ることは、実はさほど難しくはなかった。
 普段からどれほど国に貢献してきたと思っている。フィオナを娶るまでは休暇を取るという感覚がなかっただけで、いい加減溜め込んだ休みを消化していいはずだ、そうに違いない。
(まあ、殿下の提案がなければ、私もこんなにも思い切った休暇は取っていなかっただろうが)
 ――それはフィオナに旅行の提案をする二日前のことだった。
 いつものようにオズワルドの補佐官として働き、その日の報告を終えた後、彼に話を持ちかけられたのである。

『それで? そろそろ貴族たちも領地に戻る時期だが、お前はどうするんだ?』
 華やかな金髪をかき上げながら、オズワルドが訊ねてきた。
 オズワルド・アシュヴィントン・リンディスタはこのリンディスタ王国の王太子だ。同時にセドリックの主だが、彼の母親が自分の叔母という、いわば従兄弟同士でもある。セドリックのひとつ年上で、学生時代から常にそばにいるため、互いに遠慮がない間柄だ。
 この日も彼は、碧い目にからかいの色を浮かべながらセドリックを見つめてくる。以前からなにかと絡んできたが、フィオナを娶ってからますます楽しそうに話題を提供してくるのである。
 とはいえ、彼もまたセドリックの抱えていた事情を知っているからこそ、その変化を喜んでくれているのだろう。むしろセドリックが変わりすぎて、おもしろがっている節もある。
『どう、とは。今年はライナスも王都に来ておりますし、私は――』
 夏いっぱいで王都での社交シーズンは一旦幕を下ろす。地方の貴族たちは秋頃より、各領地に戻っていくのだ。そして、王都や他領にいる貴族たちを自分の領地に招いて、紅葉狩りやガーデンパーティ、狩りなどを楽しむ。つまり、社交の場が王都から地方へと移るのである。
 だがセドリックには、今年も領地に戻るつもりはなかった。
 もちろん、フィオナのおかげで家族との関係性は大きく変わっている。今ならば両親となんの気兼ねもなく会えると思う。だから一度領地に顔を出すのも悪くないが、もうひとつ、どうしてもしておきたいことがあるのだ。
『休暇をいただきたいと思っております。結婚してからずっとバタバタしておりましたし。少しはフィオナとの時間を――』
 と、途中まで言いかけたところで、がしりと誰かが肩を組んでくる。
『なになに? セドさん、ついに新婚旅行でも連れていってあげる気になったの?』
 などと明るく声をかけてきたのは、魔法省所属にしており、セドリックと同じくオズワルドの腹心でもあるアラン・ノルブライトだ。
 朱色の長い髪を後ろでひとつ結びにした彼は、大きめのローブを纏っている。糸目で、常にへらっとした印象の彼だが、その実力は折り紙付きだ。この国の魔法省の中でも第三位、わずか七名しか存在しないという七芒の位を持った優秀な魔法使いなのである。
 ふんにゃりした雰囲気からは想像もつかないが、頭も切れる。だから下手な近衛よりも優秀な護衛兼相談役としてオズワルドに仕えていた。
 ――などと一見いいようにも聞こえるが、少々言いたいこともある。行動力の塊であるオズワルドと、好奇心の塊であるアランが組むことで、厄介事が二倍になってセドリックに降り注ぐのである。
 これまで仕事で忙殺されてきた要因のひとつに、彼らの暴走があるとはっきり言える。なぜかセドリックは常にふたりの尻拭い係。苦情や相談がもれなくセドリックのところに集まってくるところまでが一連の流れだ。
『あなた方が余計なことさえしなければ可能でしょうね。私だって、かわいいフィオナを旅行にくらい連れていってやりたい』
 そのためには、とにもかくにもまずは休暇の確保だ。なんのトラブルにも巻き込まれることのない穏やかな日々。それがセドリックには圧倒的に不足している。
 もちろん、フィオナの魔法により体も心もすこぶる快調だ。自分の仕事を片付けるスピードだって上がったし、業務を誰かに託すということも覚えた。以前と比べると、格段に仕事量の調整ができるようになってきた。
 それでもまとまった休暇となると、オズワルドやアランの協力がなければ難しい。だからセドリックは、そばにいるふたりにじとーっとした目を向けた。
『今まで散々こき使われてきた分、私にだって休暇を取る権利くらいあるでしょう』
 胸を張って言い放つと、ふたりはどっと笑い声をあげた。
『重畳重畳! なかなかいい傾向じゃあないか、ウォルフォード』
『だね。浮ついていてもやっぱり仕事人間だよなーって思っていたけれど、少しは安心していいのかな』
 なんて、ニマニマした目でこちらを見てくる。
『フィオナちゃん、全然わがまま言わなさそうだもんね。セドさんが気にかけてあげないと、彼女から旅行なんて絶対言ってこないよ』
『そ、それは……』
 痛いところをつかれて、セドリックはうっと言葉に詰まった。
 アランの言う通り、フィオナは本当に慎ましい。いつもセドリックのことだけを考えてくれて、迷惑をかけないように本心を隠してしまう傾向がある。
 もちろんセドリックは、彼女に隠し事なんてさせるつもりはない。彼女の心の憂いはすぐに払えるよう、常に気を配っているけれども、フィオナはフィオナで隠すのが上手なのだ。
(それに――私も、彼女にきちんと誓いたいことがある)
 いまだに、彼女に契約結婚を持ちかけて、中途半端な関係性を築いてしまったことを後悔している。今でこそ彼女と心を通わせたが、はじまりがはじまりだ。夫婦でありながら、けじめをつけていない。恋人同士だし家族でもあるのだが、夫婦という関係性にはあと一歩足りない。
 あけすけに言ってしまえば、いまだにセドリックは、彼女と同衾していないのである。
(いや、それに関しては! 私も! 色々と言い訳があるのだが!!)
 誰に対して弁明しているかすらわからないが、セドリックは心の奥で叫んだ。
 要は、彼女と本当の夫婦になるためには、きちんとしたけじめをつけなければいけないと考えている。
 結婚式で心からの誓いができていれば、それがけじめになっただろう。しかし、彼女との結婚式はとてもではないが、心のこもったものとは言えない。むしろ、今思い出しても、彼女に対してなんて失礼な振る舞いをしたのかと頭を抱えたくなる。
 そういうわけで、結婚式に変わる誓いを、セドリックははっきりと表明したかった。
(それに――)
 もうひとつ、どうしても気にかかっていることがある。
 いや、正直、これこそがセドリックの本音なのだろう。
(彼女を抱くということは、子をなす可能性があるということだ)
 公爵家のためにも、いつかは必要となる。でも、あと一歩がどうしても踏み出せなかった。
 意気地がないと自覚している。それでも、女魔法使いである彼女が妊娠するということ――それは即ち、魔法使いの子を持つことに繋がってしまう。
 セドリックにはその覚悟が足りていない。確実に魔法使いの子を持つという事実がどうしても重くのしかかるのだ。
 自分自身が魔法使いで――思いもよらない暴走で家族を苦しませ続けてきたからこそ、その宿命を子に授ける決意ができない。
 でも、いつまでも怖じ気づいていられないことも自覚していた。
(だから、新婚旅行を通して、私は真にフィオナと夫婦になるんだ)
 この決意は固い。ゆえに休暇。なにはともあれ、今最も必要なものは休暇なのである。
『ふぅーん』
 ニマニマニマと、セドリックの肩を抱いたままのアランは、思わせぶりな目を向けてくる。
『そうだよね。そろそろ一歩進まないと、フィオナちゃんもかわいそうだし』
 こう見えて彼は、よく人を見ている。案の定見透かされていたわけだが、さらに決定的な言葉を言われ、セドリックは顔色を変えることになった。
『せっかく結ばれたのにぃ、旦那さまってばわたしに手を出してくれな~い。わたしってば魅力がないのかしらあ~』
『っ、アラン!』
『――なーんて。でも実際、自分に責任があるって考えちゃいそうじゃない?』
 言い方は似ても似つかないが、ぐうの音も出なかった。
 次期公爵の妻ともなれば、世継ぎを作ることは重要な役目でもある。最初に結んだ契約では、子を作るような行為はしないと明記していたが、それはとっくに破棄されたものだ。慎ましい彼女のことだ、自分から話を切り出せないものの、思い悩んでいる可能性は大いにある。
『だから! けじめを、つけてきますから! ――休暇を!』
 ひときわ大きい声が出たところで、アランとオズワルドは体をのけ反らせてドッと笑ったのであった。
『しかしウォルフォード、新婚旅行といっても、どこに行くつもりだ?』
 オズワルドに改めて話を切り出され、セドリックは額に手を当てる。からかわれすぎて頭痛がする。眉間に深く皺を刻みながらボソボソと答えた。
『そうですね、湖畔の街サイクスでしたらウォルフォード公爵家の別荘もありますし、さほど遠くはありません。日常を離れてゆっくり過ごすなら最適かと思っていたのですが』
『ナバラル王国』
『え?』
 遮るように言われた地名に、セドリックは瞬いた。
『ナバラル王国なんてどうだ? 近年のバカンスの定番ではあるだろう? あそこなら、まだしばらくは暖かいし、ゆったりと浜辺を散策するのもよいのではないか?』
『それは、そうですが』
 ナバラル王国というのはリンディスタ王国の南東に隣接する国だ。この王都からのアクセスも悪くない。
 国の規模はリンディスタ王国と比べるとやや小さいが、歴史と伝統のある友好国である。
 ただ、ここ十年ほどで国の雰囲気が随分と変わった。南側は温暖な海が広がり、海産物や資源が豊富なのは変わらないが、その美しい海岸線沿いにいくつものリゾート施設や別荘が建ち並ぶようになったのだ。今や国外からの観光客も大勢受け入れている一大観光大国なのである。
 別荘を他国の貴族に貸し出すことで、人々の交流を促し、市場拡大に繋げているようだ。リンディスタ王国の貴族の間でも、かの国で秋や冬を過ごすのがひとつのブームになりつつある。
 まさに、この季節に新婚旅行に行くのにうってつけの場所でもあるだろう。
『三週間』
 丁寧に、オズワルドが三本の指を立てて宣言する。
『かの国に行って、ちょっとしたお使いを頼めるのだとすれば、君に三週間融通するよ』
『三週間……!』
 自分が想定していた三倍の休暇である。――いや、他の者たちにとっては、たいした長さではないのだが、これまで休暇という休暇を取ってこなかったセドリックにとってはいまだかつてないほどの大型休暇である。
 それに行き先がナバラル王国となると、きっとフィオナも喜ぶだろう。
(なによりもあそこは、彼女の好むカメオの原産地だ)
 昔ながらの技術によるシェルカメオの精巧さは有名で、彼女の喜ぶ姿がありありと目に浮かぶ。若草色の瞳をキラキラと輝かせた彼女は、きっととびっきりのお気に入りを見つけるだろう。それをセドリックの手ずから彼女の胸もとに飾るところまでを妄想し、ハッとする。
 だめだだめだ。あまりに魅力的な条件すぎて、反射的に頷いてしまうところだった。
 うまい話には裏がある。特に、提案してきたのがあのオズワルドなのだ。彼の意図はしっかりと確かめないといけない。
『それで、ちょっとしたお使いとは?』
『ああ、それはね――』
 オズワルドは優美な笑みを湛えながら、彼に事情を話すのだった。
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