八月の蛍、あの夏の歌

12

 ————あれから二日後。

 結局、僕はあれ以来ピアノに触れる事無く、約束である次の音楽の授業の日を迎えた。
「じゃあ朝丘君。お願いね」
 僕は嬉しそうな先生に会釈してピアノの椅子に座る。高さを調節して鍵盤の上に手を乗せる間もずっとみんなの視線が僕に集中しているのが分かった。こういうのはやっぱり苦手だ。
「えっと、カズは……」
 僕はセットした楽譜から顔を上げて、指揮者であるカズに視線を合わせる。カズはピアノを挟んだ真向かいでニヤニヤした顔を僕に向けながら指揮棒で自分の手の平をペシペシと叩いていた。一体どんな特訓をすれば二日でそんな自信満々な態度を取れるんだろう。
「あ。そうそう朝丘君。申し訳ないけど、しばらくは指揮無しでやって頂戴。とりあえずみんなも朝丘君のピアノに合わせて歌って。野本君は一切、指揮しなくていいからとにかく朝丘君のピアノに集中して頭の中で四拍とる練習ね」
 先生がパンと手を叩いて僕らに指示をだした。カズは指揮棒を握ったままうんうんと頷いていた。先生の言葉に女子からも男子からもクスクスと笑いが漏れる。
 当たり前か。あのカズが二日で指揮なんて出来る筈が無い。
 それでも自信満々な顔が全く崩れないカズは、先生に「指揮者は偉い」とでも吹き込まれたのだろうか。指揮棒も必要ないのに離そうとしないし。きっと心は完全にマエストロ気分なんだろうな。まぁ確かに自信って必要だけど、カズの憎たらしいにやけ顔は自信と言うより慢心に溢れている。でも二日で慢心出来るのもある種、才能と言えるのかな? まぁいいや、カズの事は先生に任せよう。
 僕はフッと息を吐いてカズから視線を外し、並ぶみんなを横目に見て、楽譜と向き合う。
 頭の中でリズムを取って、前奏を弾き始める。ワァッと言う声が少しだけ女子から漏れた事に気づき、恥ずかしくなって男子に目をずらすとみんな驚いた表情で僕を見ていた。   
 僕がピアノを弾く姿がそんなに珍しいのだろうか。
 僕は膨らむ恥ずかしさをかき消す様に、頭の中で鳴るリズムの音を大きくした。
 歌が入った。先生はピアノに合わせてって言ったけれど、僕は歌に合わせて弾いた。聞き慣れてはいても、歌い慣れてはいない曲だ。曲の中にあるリズムも掴み切れていない。だからどんなに頑張ってもリズムが不安定になってしまう。
 最初からそこばっかり気にして歌うと、きっと窮屈に感じて歌うのがつまらなくなってしまうだろうから、まずは僕がみんなに合わせる。そして自分達がいい感じだと錯覚させてみんなのモチベーションを上げる。これが、好きこそものの上手なれ。つまりは作戦だ。
「————私たち、結構いい感じじゃない? 二回目でこれなら歴代最高の合唱になっちゃうかも!」
 演奏が終わると、女子達が騒ぎ出す。作戦成功。
「ってかホタルすごい! かっこいい!」
「えぇ?」
 まさかの言葉に驚く僕に、ユキが満面の笑みを向けて拍手を送って来る。他の女子達からも「カッコいい!」と声が飛んできて、やがて拍手は女子全員に広がってしまった。これは流石に予定外だ。ちょっとやりすぎたかも。
 僕はまさかの状況に困って、助けを求める様にカズへ視線を逃がす。
 カズは指揮棒で手の平をペシペシしながら、鬼のような形相で僕を睨んでいた……べつに僕は悪くないだろ、カズ。
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