八月の蛍、あの夏の歌

 記念すべき田舎人生初日のご飯はソーメンだった。六月の終わりにソーメンを食べるのはちょっと早い気がしたけど今年は六月の中頃からかなり暑くなっていたし、きっと父さんなりの「引っ越しそば」ってやつのつもりなんだと言う事はわかっているので黙って食べる。
 父さんは拘るようで拘らない変な性格だ。呑気とも言える。
 大量のソーメンを片手に台所からやって来た父さんは「せっかくだから」とソーメンをテーブルに置かず、縁側に置いて台所の電気を消しに行った。僕は台所と縁側を往復して喜々としながら器や箸の準備をする父さんの行動が理解出来ずに、手伝う事も出来ないまま、ぼーっと突っ立っていた。
「さあ、食べよう」
 沈みかけの夕日に照らされた父さんが縁側に胡座をかいて僕を手招いた。促されるがまま、縁側に腰掛けてちょっと大きめな父さんのサンダルに足を通す。かと言って外履きを履いた所でここから逃げ出せる筈も無く、僕は箸と麺つゆの入ったガラスの器を手に持った。
 ソーメンを一口啜るとズズっと音が響いた。
「……静かだなぁ」
「うん」
「夕日が綺麗だな」
 ソーメンに箸を付けずに父さんは夕暮れに溜め息をつく。早く食べないと伸びちゃうよと言うと父さんはようやくソーメンに箸をつけた。それ以上の会話も無くソーメンの啜る音がやたらと響く縁側には時々、風が通り抜けた。家の中を通ってどこから去っていくのかもわからないけど、おかげで外からも中からも体が冷えていく。
「今度、風鈴を買ってこよう」
 箸を止めて気持ち良さそうに目を瞑る父さんに返事はしなかった。父さんも別に僕の反応を待っている様子も無く、おもむろに目を開けてまたソーメンに箸を付ける。ロマンはわからない。

 でも、ソーメンは美味しかった————。
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