八月の蛍、あの夏の歌

24

「————はい。どうぞ」

 翌日の昼休憩。灰坂は約束通りお弁当を作って来てくれた。
 テーブルの上に置かれたのは、そこまで大きくはないとは言え重箱だった。
 聞くところによると、どうやら家にはこの重箱か、いつも持って来ている弁当箱以外ないらしい。
「どうぞ。開けてみて」
 さぁ。と両手を差し出す灰坂は見た事も無い自信に溢れた顔をしていた。
「それじゃいきます……おー!」
 蓋を開けると上段には揚げ物、煮物、卵焼き等の立派なおかず達。下段には色んなふりかけに彩られたおにぎりが並んでいた。
「これすごいね。おいしそう」
「ありがとう。じゃあ食べよっか」
「いやいやこちらこそありがとう。じゃあ、いただきます」
 声を揃えて手を合わせる。まずは王道の卵焼きから箸を付けた。
「うん。おいしい!」
 僕が頷くと、息を飲んで見つめていた灰坂が安堵の溜め息をついた。
「良かったぁ」
「出汁巻きなんだね。これ美味しい」
 僕はそう言いながらおにぎりを頬張る。うん。これも美味しい。シャケのふりかけだ。
「灰坂。料理うまいね」
「なんか、あんまり褒められると照れる」
 そう言われると、何だか僕の方が照れてしまう。だから、それ以降は変に灰坂を褒める事無く、とにかく美味しいを連呼しながら食べた。灰坂はそれでも嬉しそうに笑って、同じ様に美味しいと連呼して食べていた。
 ————しっかり完食して、少し休憩。美味しいから、つい食べ過ぎてしまった。
「ごめん。量多かったね」
 苦笑いで謝る灰坂に、僕は「いやいや」と手を振る。
「これは仕方ないよ。美味しいからついつい食べちゃった」
 麦茶を少し飲んで、お腹を擦る。心地いい満腹感だった。美味しいものでお腹が一杯になるってなんて幸せなんだろう。
「灰坂。明日はこのお礼にソーメン茹でるから弁当持って来なくていいよ」
「え? いいの? ありがとう!」
 お礼がソーメンって言うのも悪い気がするけれど、灰坂が笑って喜んでくれているから良しとしよう。この家の冷蔵庫には、常に食品があまり入っていない事は内緒だ。
「ソーメンかぁ。夏って感じだよね。じゃあさ、明日は縁側で食べない?」
 まるで父さんみたいな事を言いだす灰坂に僕は驚いた。
「それ、初めてここに来た時に父さんとやった事だよ」
「え? そうなの? さすがホタルのお父さんだね」
 灰坂と父さん。この二人は本当に気が合うみたいだ。二人が話している時はいつも笑い声が混ざっている理由が少し分かった気がした。
 ————帰りは珍しく、灰坂の方から送って欲しいと頼まれて、僕と灰坂は日暮れ時の中、砂利道を並んで歩いていた。
「そう言えば灰坂の家の方ってまだ言った事無いな。いつも歩きで来てるけど、ここから結構近いの?」
「うーん。二十分くらいかな?」
 結構、微妙な時間だ。今日はまだ陽があるけれど、これから先、ボイトレが長引いたりしたら家に着く前に暗くなってしまい兼ねない。
「それならこれからは送っていくよ。何かあっても嫌だし」
 僕が親切心で言うと、灰坂は少し顔を逸らした。
「うん。ありがとう」
 何でこっちを向かずに、遠くに見える山にお礼を言うのだろうか。灰坂は仲良くなるにつれて何故か謎が増えた気がする。
 そこからは特に会話も無く、ただ二人の足音が揃ったりずれたりするだけだった。
「ホタルってさ」
 灰坂はようやく僕の方を向いた。
「……やっぱなんでもない」
 そしてまた山の方を向いた。
「いきなりどうしたの? 何でも言ってよ」
「んーん。何でも無い!」
 灰坂は急に走り出すと、僕の数メートル前に飛びだして振り返った。
「ありがとう! 私の家あそこだからここまででいいや! また明日!」
 灰坂が右手で指差した田舎っぽい大きな民家は百メートル位離れた所にあった。
「うんわかった! また明日!」
 僕が手を振ると、灰坂も大きく振り返す。夕日に照らされた顔は、まるで向日葵の様に晴れやかな笑顔だった。
 そして重箱を持ったまま走り出す。結構足が速い。
 灰坂は一気に自分の家へと消えていった————。
「ただいまー」
 僕が家に帰ると、父さんが居間から顔を出した。
「おかえり。カズ君来てるぞ」
「え? カズが?」
 こんな時間に? なんで? 
 僕はとりあえず靴を脱いで、父さんが指差した僕の部屋の襖を開けた。
「よう! 久しぶり!」
 カズは畳にあぐらをかきながら、僕に手を挙げた。
「久しぶり……ってどうしたんだよ一体」
「いやー、何だかしばらく会ってないと寂しくてさー!」
「何言ってるんだよ、全く。それより特訓はどう? 大変?」
「大変? ……うーん。大変だけど何か楽しいからやっぱ大変じゃないな!」
 久しぶりに会うカズは相変わらずだった。本当に、何しに来たんだろうか。
 僕は「そう」と笑って、椅子に座り、クルッとカズに向き直った。
「それで? 本当にただ会いに来ただけなの?」
 カズはへへへと笑って頬を掻く。
「ユキ……元気してる?」
「何だよそれ。この前、会ったけど元気そうだったよ」
「そっか。ならまぁいいや」
「大体、直ぐ近くに住んでるんだからいつだって会いに行けるでしょ」
「いや、何ていうかさ。俺なりのケジメっていうかさ。へへへ」
「は?」
 僕はカズの言っている事がさっぱり分からない。一体、何を言っているんだろうか。
 そして何故、照れているんだろうか。
「ホタル。俺、祭り終わるまでユキに会わないって決めたから」
「え? 何で?」
「だから、ケジメなんだよ。指揮者なんて大役任されちゃったし。去年は何か俺のせいで散々だったしさ。まぁウケは出し物の中で一番良かったけどな。それでも今回は名誉挽回なんだ。しっかり成功させてユキに見直してもらおうと思ってな! だからそれまでユキに会わないようにしようって決めたんだ。会っちゃうとほら、遊びたくなっちゃうからさ。だから禁ユキ生活だ!」
 なんか『禁欲生活』みたいに言っているけれど、まぁこれはカズなりに出した答えなんだろう。でも、カズは大事な事を忘れている。
「カズ。もう八月入ったよね」
「あぁ。だから禁ユキ生活もあと少しだ!」
「いや、あと少しどころか明後日に会う事になるんだけど」
「え? 何か約束してたっけ?」
「いや、合唱練習が始まるから……」
「……あー!」
 忘れてた! と頭を抱えて、畳の上に転がるカズ。どうやら本当に考えてなかったらしい。家に会いに行かなければ会わずに済むなんて一体どういう思考回路をしているんだ。
 僕らがやるのは『合唱』なのに。
 とにかく、カズの『禁ユキ生活』は明後日で終わりというのは確定だ。
「もうダメだ……帰る」
「あぁ、うん。気をつけて」
 じゃ。と力なく手を挙げてカズは部屋を出た。僕は部屋から顔だけ出して、それとなく聞いてみる。
「指揮の方は、どうなの?」
「うん……うん」
 振り返りもせず、ただ手をプラプラ振って答えるカズに僕はやりきれなくなって一応、玄関先まで見送る事にした。
「あれ? カズ。自転車は?」
「……昨日パンクしてまだ直してない」
「じゃあ送ろうか?」
「いい……大丈夫。また明後日な」
「う、うん」
 力なく手を振り、項垂れながら哀愁を背中で語るカズは、もう失恋したみたいに見えてたまらなくなった。
 あんまり指揮上手くいっていないのかな。結局ユキの話をしに来ただけだったなカズ。
 僕は消えそうなカズの背中にボソリと呟く。
「カズ、頑張れ」
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