私と彼の溺愛練習帳
「私、昔からあの人にいじめられてて」
「衣装ケースは僕が持つから」
 彼女に答えず、閃理は言った。

「私の荷物だから」
「じゃあ一個ずつね」
 閃理は一つを持ちあげた。
 雪音を先に歩かせ、閃理は階段を降りた。

「なんで無視するの!」
 愛鈴咲が叫ぶ。 だが、閃理はそれにも答えない。
 階段の途中に御札のようなものがあり、閃理はちらりとそれを見た。
 通りざまにダイニングへの通路を見たが、そこにも御札があった。
 再度通った玄関にも、それはあった。

「家の修繕費は!?」
 玄関を出ようとした雪音に愛鈴咲は言う。
「私の家なんだから、払わない」
「あんたの家じゃないわよ、図々しい! ね、こういう人なのよ」
 愛鈴咲は閃理に言う。

「法的に払う根拠はない」
 閃理がきっぱりと答える。美しい顔ですごまれて、愛鈴咲は怯んだ。
「弁護士でも入れる? 受けて立つよ。もう彼女につきまとわないで。近付いたらこっちはすぐに弁護士を入れるよ」

 閃理は冷たくせせら笑う。
 愛鈴咲はなにも言えなくなり、ただ雪音をにらんだ。



 後部座席に衣装ケースを載せ、二人は帰路についた。
「本当に大丈夫なの?」
「知らない。だけどああいう人は自分で調べもしないからきっと大丈夫。本当に弁護士を立ててきたら僕も弁護士を雇うよ。何人か知り合いにいるから」

 雪音は唖然とした。どうして平然とそんなことが言えるのだろう。
 窓の外に目をやると、惣太が自分の家だった建物に向かうのが見えた。
 また見せつけるために愛鈴咲が呼んだのだろうか。
 だけど、タイミングがすれ違ったようだ。
 雪音はほっと息を吐いた。
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