初夜をすっぽかされたので私の好きにさせていただきます

11.おやすみとおはよう


 マリアンヌがシャワーを終えた後、入れ違いで地下へ降りて来たロカルドを、どういうわけか一瞬でルシウスは気絶させた。その早技を私は目撃していなかったけれど、出て行ってものの数秒でロカルドを背負ったルシウスが現れたので私は目を丸くして出迎えた。

 ズルズルと長身のロカルドを引き摺るような形で、ルシウスは私の前を歩く。

「昔は夜間営業も行っていた関係で、仮眠室があるんだ」
「そうなのね……」

 案内されたのは、もう使われていないというコンクリート打ちっぱなしの部屋。簡易的なベッドに加えて一人用のテーブルと椅子が備え付けられている。

 ルシウスはロカルドをベッドの上に降ろして、私にロープを差し出した。どうやら縛れと言っているようだ。

「本で読んだだけだから適当よ、」

 ロカルドの手首とベッドの柵をぐるぐると何重にも結び付けた。念のために足首も同様に固定する。途中で金髪の下の双眼が大きく開いて、彼が暴れ出さないかという妄想が浮かんだが、どうやらその心配は不要だった。

 唇を開いて、用意していたサラマンダーの毒を流し込む。そもそもこれは本物なのだろうか。ルシウス曰く身体が痺れて動きが鈍るらしいけれど、本当に?

「今更だけど…これは本物?」
「試してみる?意識は残ったまま、指一本動かない」

 耐性があれば喋るぐらいは出来るかもね、と話すルシウスに私は頷いた。何にせよ、これだけ手足を縛っていれば簡単に脱出は出来ない。

「あ、特進クラスだから手に入ったってのは嘘だよ」
「そうなの?」
「個人的なルートで貰ったんだ」
「貴方のその個人的なって部分、怖いのよ」

 私は呆れながら目の前で眠るロカルドを見下ろした。何か刺激を与えれば起きるだろうとのことだったが、どうやって目を覚まさせようか。

 ビンタでもしてやる?
 それともフライパンで頭を叩くとか?

 これから自分が行うことを考えると、ドッと疲れが押し寄せた。ロカルドが鍵を借りたと聞いてからというもの、ずっと私の気持ちは張り詰めている。それが緊張なのか、それとも自分が行うことへの罪悪感なのかは分からない。或いは、長年の片思いが終わることへの悲しみかもしれない。

「物語のように口付けて起こしてやれば良い」
「貴方って嫌な性格ね。見たでしょう?ロカルドはさっき、マリアンヌと熱いキスをしてたのよ」
「でも君は好きな相手としか、したくないんだろう?」

 揶揄うような物言いに私は気分を害した。
 彼はまだ私がロカルドに未練があることを見抜いているのだ。嘔吐するほど嫌で堪らない婚約者の不貞の現場から、それでも離れることの出来なかった未練がましい女だと。

「いいえ、ロカルドにするぐらいなら壁を舐めた方がマシ」
「それが聞けて良かった。じゃあ、成功報酬で俺にくれ」
「……は?何を言ってるの?」
「望んで君に手を貸したとは言え、何か褒美は欲しい」
「冗談は止めてよ。お金で用意するわ」

 言い返しながら、果たして彼はいくら請求してくるのかと内心ヒヤヒヤする。

「カプレット家に金をたかる程、俺は悪人じゃない」

 私はカッとした。暗にエバートンとカプレットの富の差を揶揄するようなその言い方は、父親であるウォルシャーが聞いたら激怒するだろう。確かに幅広く国内外で事業を手掛けるエバートン家は、ミュンヘン家にも負けず劣らずの名家と言えるけれども。

 なんて嫌味なヤツ。
 ロカルドへの復讐が終わったら早く手を切りたい。


「いいわ、分かった。それで済むなら安い話だもの」
「賢い令嬢と手を組むと話が早くて良いね」

 爽やかに微笑むルシウスを一瞥して、私は溜め息を吐いた。決めた、ロカルドの起こし方は平手打ちにしよう。今までの思いを込めた渾身の平手打ち。本来関わることのないルシウスと手を組むことになったのも、彼の裏切り行為が原因なのだから。

 私はことを早く進めるためにロカルドのシャツに手を掛ける。丸裸とまではいかなくても、シャツとズボンは邪魔だから肌を露出した状態にしておかないと。

「始めるんだね」
「ええ、遅くなると家族が心配するから」

 ロカルドのズボンを脱がそうとする私の手に、ルシウスの手が添えられた。ギュッと指先を握り込まれて、心臓が大きく跳ねる。

「シーア…何かあったらすぐ呼んで、」

 首筋にルシウスの息が届いてくすぐったかった。振り返って返事をする勇気が出なくて、私はただ首を縦に振る。去って行く足音が完全に消えるまで、石のような身体の硬直は解けなかった。

(……心臓に悪い人)


 気を通り直して、ロカルドに向き直る。振り上げた右手を思いっきり白い頬の上に下ろした。

 大きな破裂音。
 そして、驚くように勢いよく開かれる目。


「………シーア?」

 ロカルド・ミュンヘンはまだ夢の中のような惚けた顔で私を見つめる。その唇が、指先が、触れていたのは私ではない他の女。彼と婚約していた三年間、小さな幸せを感じていたのはどうやら私だけだったらしい。

 大好きだった。
 ロカルドが私を愛していなくても。


「おはようございます。短い夢は如何でしたか?」
「これは…どういうことだ?」
「ロカルド様、お慕いしていました…今日までは」



 こうして物語は冒頭へと戻る。
 カプレット家の末娘は悪女の仮面を被って。

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