駅 〜Na małej stacji〜
彼女は、酷い頭痛と共に目覚めた。


理由は言わずもがな、二日酔い以外のなにものでもなく。

若い娘は水を求めて、Tシャツに短パン、ぼさぼさの頭でキッチンへ向かう。

「ちょっと鏡子!あんた毎日いい加減にしなさいよ!」

キンキンとした母親の怒声が、頭痛に拍車をかける。

「あたまいたい…おねがい、どならないで…」

掠れた声で懇願するも、この場合、明らかに娘が悪い。

「あんた、実家に戻ってから、毎晩毎晩飲んだくれて、仕事探す気もないの?何のためにわざわざ東京の大学へ行かせたと思ってるの!」

母の小言が、彼女の耳に胸に、突き刺さる。

しかし、今は小言を聞く気分にはなれない。

逃げるように部屋に戻る。

自室のドアを閉めると、重い溜め息をついた。

何もする気が起きず、ただ意味もなくラジオを聞き流し、ベッドに横たわるだけ。

気が付くと、また眠ってしまった。



いつの間にか日は暮れ、することはひとつ。

簡単に身支度を済ませると、足音をたてぬよう、こっそり家を抜け出す。

向かうのは勿論、飲み屋だ。


水原鏡子、22才、無職。

日課は、毎晩潰れるまで飲んで、昼過ぎまで眠るだけ。

そんな自堕落な生活は、早くも2ヶ月になった。

いけないとわかっていても、現実逃避するためには、これしかなかったのだ。

学生時代、あんなに厳しかった親も、彼女を見限ったのか、説教こそしても、もう何ひとつ彼女に期待していない。

今夜もまた、あびるように飲む。


そして、終電に乗り込んだ。

ぼんやりした頭でも、何かがおかしいことはわかった。

そう、反対方向の電車に乗ってしまったのだ。

慌てて途中下車するも、ここは田舎町の小さな小さな駅。

周りに宿すらあるはずもなかった。

「あーもう…」

水原は、自分の馬鹿馬鹿しさ、不甲斐なさに、思わず涙を溢す。

泣き上戸でもないのに。

そして、誰もいない小さな駅のベンチで、ひとりすすり泣き、泣きつかれてそのまま眠ってしまった。

若い娘にあるまじき行動だが、水原にはそんなことを考える余裕すらなかった。

遠くで誰かの声がするのを水原は感じた。

誰かに、そっと抱き上げられた感触もある。

それでも、水原は目を覚ますことはなかった。


しばらくすると、いつもの頭痛と、いつもはない体の節々の痛みで目が覚める。

「あれ…?」

自分の部屋ではない。

ここは、駅…?

「あ、目覚めた?」

水原は、声をかけるひとをじっと見つめる。

彼はここの駅員のようだ。


「久し振りだね」

その優しい笑顔は、よく知っている顔だと気付く。

だが彼は、水原の記憶の中の顔より、少し大人びていた。

「安宅くん…?」

「びっくりしたよ。ホームで爆睡してる若い女性が水原だなんて」

安宅と呼ばれた青年は、呆れ顔だが、懐かしさを隠しきれていない様子だ。

一方、水原は一気に酔いが醒めてしまい、寝ていた長椅子から飛び上がった。

「あ、あのね!今日はたまたまなの!いつもこんな風に飲んだくれてなんかいないからね?」

「…説得力ないんですけど」

墓穴を掘った…水原はうなだれるばかり。

「そんな、別に俺の前でそんな取り繕わなくていいよ」

安宅の昔と変わらない優しさが、水原には哀しい。

「だって…久々の再会がこんな形なんて…」

別れもあんな形だったし…と、心の内側で続けた。

「あれっ!?もうとっくに終電過ぎてるのに、ここ開けてていいの?」

今更、自分の置かれた状況に気づく。

「仕方ないよ。駅長にはちゃんと言っておいたよ。同級生だってこと」

同級生…その言葉に水原の胸は痛む。

過ぎ去りし日を思い出すことは、水原にとって、単純に懐かしいだけではなかった。

「ごめんなさい…迷惑かけて」

「いいって。水原に振り回されるのは今に始まったことじゃないし」

「…本当にごめんなさい」

「だから、迷惑ではないから!むしろ、久々に会えてよかったと思ってるから、気にするな?」

こんな風に、さりげない人の優しさに触れたのは、いつ以来だろう?

少なくとも、かつて安宅と過ごした日々は、いつだって温かかった。

だが、その温もりを捨てて、何も言わず姿を消したのは水原のほうだった。

「まだ、朝までは時間があるよ。せっかくだから、ゆっくり話さない?こんな場所だけど…。俺の知らなかった水原の4年間のこと、聞きたいな」


二人は、中学3年ではじめて同じクラスになった。

水原は内弁慶で人見知りも激しく、いつもなかなかクラスに馴染めなかったのだが、隣の席だった安宅とは何故か気楽に話せた。

受験生ということもあり、プライベートでまで会ったり、電話したりはしなかったが、一番親しかったのは、数少ない女友達より安宅だった。

別々の高校を選んだ二人。

卒業式の日に、安宅の、

「また会えるかな」

その言葉から、二人は更に親しくなった。

家に電話する時は、ポケベルで連絡してから。

それならば、他の家族に電話をとられることもない。


昔から水原は、容姿を誉められることならばよくあっても、本人としては、誰もが振り向くような美貌だとは決して思えない。

勉強も、せいぜい中の上~上の下を行き来する程度、運動はかなり苦手、他にこれといって特技もなかったので、人々のいう「夢」というものも、一体何なのかわからずにいた。

本や映画、音楽にはそれなりに造詣は深くても、それは、一人でいるのが好きな自分に似合いの趣味だと思うだけ。

安宅とはいろんなことを話したが、夢のひとつさえ見つけられずにいる自分が恥ずかしくて、いつも進路の話題だけは避けてきた。

一方、安宅は、何でも平均以上にこなすタイプだが、それゆえに器用貧乏だったのと、性格も割とおとなしかったので、水原にコンプレックスやプレッシャーを与えなかった。


「ひとつ聞いていい?」

安宅は続けた。

「突然いなくなったのは、どうして?」

「あ…東京の大学に進学したの」

「それは知ってる」

「えっ?」

水原は驚いた。

安宅とは高校が違ったし、水原の進路を知る友人と安宅に、接点はないはずだ。

「ベルにメッセージ入れても連絡とれないから、思い切って電話したんだよ。上京したって話は、水原のお母さんから聞いた。お母さん、俺のこと全く知らないみたいだったから、連絡先なんて聞けやしなかった。まぁ…コソコソしてた俺も悪いよな」

「ごめん…」

「謝らなくていいよ。ただ、知りたいのは、何も言わずに消えた理由。俺、いつの間に、そんなに嫌われてたのかな…って」

「違う!!」

突然、水原の声が大きくなる。

それだけは、全力で否定しなければ…。

絶対にあり得ないことだったから。



水原の高校生活は、中学以上に単調すぎた。

友達はいたけれど、周りがどんどん自分の夢を現実のものに近づける努力をしていたのに、水原は、いつまでたっても何の夢も目標もなかった。

将来について考えたところで、とりあえず地元の国立大学を出て、大企業の腰掛けOLになって、素敵な恋人ができなければ、若さを武器に出来るうちに見合いでもして、20代半ばで寿退社するのが関の山だろう…。

しかし、そんな人生で本当にいいのか?

そんな風に、いつも問いかけていた。

もっとも、現在の水原は、それ以下の暮らしなのだが。


そんな高校生活の中で、水原にも突然転機が来た。

当時、親しかった友人が、学校の弱小の演劇部に所属しており、帰宅部の水原は、ぼんやりと稽古を見学していることも多かった。

「毎日あんたの練習に付き合ってたから、台詞、全部覚えちゃった」

そんなことを友人に言ったことさえ、水原本人は忘れていたが…。

文化祭当日、主演女優がインフルエンザで出られなくなるという事態が起きた。

「ねえ!この前、台詞全部覚えちゃったって言ってたよね?一生のお願い!代役で出てほしいの!」

「はぁ!?私、演劇なんてやったことないよ!代役の部員いるでしょ?」

「この弱小演劇部には、そんなのいないって…」

お願いだから!と懇願する友人に負け、

「どんな大惨事になっても、私は責任とれないからね?」

と、やむなく引き受けた。


付け焼き刃にも関わらず、舞台は大成功、特に水原には絶賛の嵐だった。

演劇なんて興味さえなかったから、まさか自分が演劇でこんなに認められるなど思わず、人からこれほど誉められたのも、人生ではじめてだった。

その時、やっと水原にも夢が見えてきた。


役者を目指そう。

しかし、そんなことは恥ずかしくて、誰にも言えなかった。

もちろん、安宅にもだ。

だから、誰にも本心を悟られないように、志望校を地元の大学から、東京の大学にこっそり変えた。

親や教師には、

「例え、限られた期間でも、東京で暮らした人にしか得られないものがあるはずなので」

と、もっともらしい理由を述べたものの、正直なところ、大学なんて東京ならどこでもよかった。

このことは、安宅にどう切り出そうか…?

親や教師は欺けても、安宅にだけはできなかった。

それなのに、悩んだ末、どうして黙って消えるなんて最低な選択をしたのだろう。


水原は、今になって、やっと何もかもを言えた。

しかし、高校の頃に打ち明けるより、今の方が恥ずかしい上に情けない。

所詮、自分は井の中の蛙だったのだから。


「そうだったんだ…」

安宅は、最後まで真剣に聞いてくれた。

「バカみたいでしょ?自分に才能がないこと、本当は上京してすぐわかったのに、最後まで悪足掻きした結果、就職すらできなかった…」

安宅は何も言わなかった。

何を言われても、きっと今の水原には辛いだけなのを、安宅にははわかっているのだ。

少しの沈黙のあと、

「夢の途中って、この駅みたいなもんじゃないかな」

安宅がポツリと言う。

「え?」

「たとえ目的地は遠くても、電車が目的地へ向かうために、たとえこんなに小さくても、この駅は必要だろう?いま、水原はここにいるんだよ。今日、途中下車したことにも絶対意味があるし、長いトンネルの先には必ず出口があるから」

「…」

「まだ、諦めきれてないんじゃない?」

「そうだけど、程遠い夢を追って、結局は何も残らないことだって…」

「そういうこともあると思う。だけど、叶わない夢があったとしても、それが不幸とは限らない。水原の終着駅が何処にあるのかは、駅員の俺にもわからないよ。だから、納得できるまで旅を続けたらいいんじゃないかな」

安宅は微笑んだ。

「俺、水原が演技してるところ、見てみたいな。ファン第1号になるよ。たとえ大根女優でも」

「…最後の一言は要らないでしょ!」

水原は初めて笑った。

笑いながら、泣いた。

「あ、泣かせるつもりはなかったんだけど…」

「いいの、何年もモヤモヤしてたのが、一晩でこんなにスッキリするなんて思わなかった…ほら、もう空が明るくなってきたよ」

「あっという間だったな」

空と町並みが、少しずつグレーから青に染まる。

早朝の、変わりゆく空の色が大好きだったことさえ、ずっと忘れていた。


「…よかった」

「何?」

「安宅くんに会えてよかった。あの頃も、今の私も」

お互い、照れて視線を合わせることはできなかったが、二人とも、心が通じあったのを感じていた。

「決めた!」

「何を?」

「まずは、ちゃんと仕事を探します。正社員でなくてもいいから」

「うん」

「地元にも劇団はあるでしょう?そこの看板女優になれるぐらいじゃなきゃ、プロどころじゃないよね!それに…もうね、プロになることに拘るより、好きなことを心から楽しんでやりたいの」

そう言って振り向いた水原の顔は、輝いていた。

安宅は、真夜中に酔い潰れていた水原を見つけたとき、実は相当狼狽していたのだが、ようやく安心できた。

「地元だったら、いつでも観に行けるもんな。最前列でも」

「うわぁ…それは緊張するからやめて」

「女優でしょ!」

「う…私、女優よ!」

「なんかそれ、どこかで聞いたことあるような…」

「ごめん、私のせいで一睡もできなかったね」

「いいよ。運よく今日は俺、休みなんだ」

「ねぇ…」

「なに?」

「また会えるかな」

昔、安宅が口にした言葉を、今度は水原が言った。

「いつでも!俺は黙って消えたりしませんから」

安宅は笑った。

「意地悪だなあ!」

水原もつられて笑った。


これから、どんな未来が待っているかは誰にもわからないけれど、今度はきっとうまくいく。

この予感は、間違いではないはず。

出勤してきた安宅の先輩駅員が何か言いたげなことには、わざと気づかぬふりをして、二人は始発電車に乗り込んだ。




Koniec
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