嘘と恋とシンデレラ

「こころ」

 玄関のドアが閉まるなり、彼に引き寄せられる。
 ぎゅう、と抱き締められた。

「……やっとこう出来る」

 背中と後頭部に手を添え、囁くようにこぼす。

「隼人……」

「我慢してた。ずっとこうしたかったけど」

 確かに彼は、外ではこういうことをしない。
 触れても手を繋ぐ程度だった。

 その分、家の中では随分と素直なものだ。
 意外と甘えたがりなのかもしれない。

 ここにふたりでいるだけで嬉しそうなのは、純粋にそういう理由もあるのだろう。

(でも、わたしにとっては……)

 逃げ場も助けもないこの空間は少しも気が休まらない。

 愛沢くんの優しさは嵐の前の静けさのようで、ひとときも油断ならないのだ。

(苦しい)

 彼の隣は息が詰まる。

 片時(かたとき)もわたしを手放せないのは、わたしを信用していないせいなんじゃないだろうか。

 そう思うと余計に居心地が悪くなる。虚しくなる。
 どうにか出来ないだろうか。

(もしかして今なら……聞いてもらえる?)

 機嫌のいい今なら、わたしの声が届くかもしれない。

「あのさ、隼人」

「ん?」

「隼人の気持ちは嬉しいよ。だけど、ちょっと……」

 緊張と警戒から高鳴る鼓動が響く。
 慎重に言葉を選んだ。

「ちょっとでいいから、自分の時間も欲しいなって」

「…………」

 吟味(ぎんみ)するような沈黙が続いた。
 まともに息をすることもままならないほど、緊迫感が空気を支配する。

 ややあって、そっと愛沢くんが力を緩めた。

 わたしを見下ろすその瞳は、凍てつくほど冷ややかなものだった。

「……何言ってるか分かんねぇんだけど」

 苛立ちを(あらわ)に低められた声に息を呑む。ひやりとした。
 ぴり、と空気がいっそう張り詰めるのを肌で感じ取る。

「何、って……」

「俺が悪いの?」

 そう聞き返され、言葉を失う。
 切実な表情が突き刺さって心が(えぐ)れる。

「そ、そういう意味じゃなくて」

「いいよ、分かったから。こころには俺の気持ち、全然伝わってなかったんだな」

「違うの! 隼人、わたしは────」

 失望して突き放すようなもの言いに焦った。

 だけど、わたしの弁解を聞く気などないらしく、するりと腕がほどかれてしまう。
 彼の背中が廊下の奥の方へと遠ざかっていく。

「ちょっと待って」

 わたしも慌ててその後を追いかけた。

 誤解して欲しくない。
 彼を責めたいわけでも傷つけたいわけでもないのだ。

 失敗した。
 もっと考えて発言するべきだった。
 不安なのはわたしだけじゃないのだから。

「!」

 ばたん、と目の前でリビングのドアが締められる。
 まるでわたしを拒絶するようだった。

(どうしよう)
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