嘘と恋とシンデレラ



「……どう、したんだよ?」

 思わぬ反論を受け、言葉を探すように黙り込んでいた愛沢くんだったけれど、戸惑うわたしの様子を見て訝しげに口を開いた。

 はっとしたわたしは思わず彼の手を取り、ぎゅっと握る。

 なくした記憶の片鱗(へんりん)に触れた動揺が止まず、ほとんど身体が勝手に動いていた。

「え?」

「何か、覚えてる。この感覚……」

 言葉がこぼれ落ち、彷徨うような眼差しで彼を見上げる。

 愛沢くんは驚いたように目を見張ったが、やがてそっと握り返してくれた。

「……こんな?」

 途端に感情の強張りがみるみるほどけていく。
 不思議と目の前の色が明るくなる。

 懐かしいような気さえした。
 わたしは確かにこの温もりを知っている。

 彼は機嫌が悪いとすごく怖いのだけれど、いつだって繋いだ手はあたたかくて優しかった。

 少しくらい嫌な思いをしても、こうしてくれると吹き飛んだ。

(すごくほっとしてる……)

 こうしている間は怖くない。
 愛されてるんだ、って安心出来た。

 それは以前のわたしの記憶か、それとも今のわたしの感覚か、自分でも分からなくて境界が曖昧になっていた。

「────俺は」

 愛沢くんの声色は落ち着いていて、先ほどまでの不穏な気配は消え去っていた。

 顔を上げると、そのまっすぐな眼差しに捉えられる。
 少しも揺らぐことのない真剣な瞳。

「お前が好きだよ」

 どくん、と心臓が跳ねた。
 疑っていたことを恥じるほど、あまりに迷いがなかった。

 照れ隠しのように視線を落とした愛沢くんは、繋いだ手を見つめる。
 親指でそっと愛しそうにわたしの指を撫でた。

「こころってさ……素直で可愛いし、優しいじゃん。俺がひどい態度とっても嫌わないで、そばにいてくれてさ」

 先ほどの問いに対する答えだろうか。
 そんなふうに思ってくれていたなんて知らなかった。

 わたしを恐怖でねじ伏せ、無理にでも従わせようとしていたわけじゃなかったんだ。

 ただ、不安でわたしに甘えていた。
 それが少し度を越してしまっただけだったのかもしれない。

 初めて愛沢くんの心の機微(きび)を目の当たりにした気がする。

(そっか……)

 独りよがりはお互いさまだったようだ。
 やっぱり、こうやって話せば分かり合える。

 それは希望であるように思えた。

「まあ」

 ややあって彼が続けた。

「1回だけあんなこと(、、、、、)あったけどね」

 思わずはっとして顔を上げる。
 忘れかけていた緊張感が頭をもたげ、心音を速めた。

「あんなこと、って?」

 どうしても探るような聞き方になってしまう。

 愛沢くんは目を伏せたまま、一拍置いて強く手を握った。ぐい、と強引に引っ張る。

「……っ」

「さっさと帰ろうぜ」

 高圧的にわたしを見下ろし、勝手に話を打ち切って歩き出す。
 突然の変貌ぶりに心臓がばくばくと暴れていた。

 足元なんて見ないで、わたしの歩幅なんて気にもしないで、ただ無理やり引っ張り続ける。
 抵抗する隙間も見つけられない。

(こわい……)

 分かりやすく一線を(かく)された。
 これ以上踏み込むな、という警告。

 愛沢くんはまた何を隠しているのだろう?

 本当は今すぐ尋ねたい。
 けれど、さすがにもう口を開く気にはなれなかった。
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