君との恋のエトセトラ
「いえーい!木原さん、おめでとうございまーす!今夜は俺、弾けちゃいますよー」

マイクを持って戸田がノリノリで歌い出す。
凛は手拍子で盛り上げつつも、涙が込み上げてくるのを必死で堪えていた。

(私ったら、なんてことを。河合さんみたいに大人で仕事が出来る人に、あんな失礼な言葉を…)

指摘されて初めて自分の無礼さに気がついた。
そのことを謝りたいが、それもまた更に気分を害されるかもしれない。

そう思うと何も言えずにいた。

「どうしたのー?凛ちゃん。俺の歌もほとんど聴いてなかったでしょ?何か悩みごと?」

いつの間にか歌い終えていた戸田が隣に座る。

「悩んでなくてもお前の歌はスルーするってよ。な?凛ちゃん」
「いえ、あの。そんなことは…」

向かいの席の社員に言われて、凛はしどろもどろになる。

「んー?なんか元気ないな。そうだ、凛ちゃん。とっておきの曲聴かせてあげようか」
「だーかーら。お前の歌は聴きたくないってよ?」
「違いますよ。俺じゃなくて、ぐふふ。歌ってくれるかな?」

何やら不気味に呟きながら、戸田は曲を入力した。

イントロが流れてくると、これ知ってる?と凛に聞く。

「いえ、知らない曲です」
「ひと昔前の邦楽なんだ。いい曲だよー。聴いててね。はい!河合さん」

隣の席の社員としゃべっていた航は、戸田にマイクを渡されて、ん?と顔を上げる。

「歌っちゃってくださーい!」
「またこれか。ヤダね」
「そんなこと言わないで。凛ちゃんのリクエストですよ?」

え?と航に視線を向けられ、凛はヒエッと首をすくめる。

「凛ちゃん、ちょっと元気ないんです。だから、ね?歌ってあげてください」

戸田に言われて航は仕方なくマイクを握り、一つ息を吸ってから歌い始めた。

その途端、凛は息を呑んで目を見開く。

良く響く艶のある低い声。
しみじみと語るように歌い上げる恋のバラード。
愛する人への切ない気持ちが痛いほど伝わってきて、一気に涙が溢れ出す。

航の醸し出す雰囲気、作り出す世界観、想いを込めた歌声。
凛は胸がギュッと締めつけられ、思わず嗚咽を洩らした。
悲しくて切なくて、すがりつきたくて。
想いを伝えたくて、抱きしめて欲しくて。

(なぜこんな気持ちに?どうしてこんなに苦しいの?)

凛の目から、とめどなく涙がこぼれ落ちる。
肩を振るわせ、声を上げて泣きたくなるのを必死で堪えた。

「凛ちゃん?大丈夫?」

ふいに戸田の声がして、凛は我に返る。

「大丈夫です。ごめんなさい」

慌てて涙を拭うが、戸田はまだ心配そうに顔を覗き込んできた。

「どうかしたの?どうしてそんなに…」
「本当に大丈夫です。何でもありません。あの、私、そろそろ失礼します」

そう言ってバッグを手に立ち上がり、一礼する。

凛ちゃん!と呼ぶ声を無視して、凛は部屋を飛び出した。
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