【第二部】天妃物語 ~「私以外にもたくさん妻室がいた天帝にお前だけだと口説かれます。信じていいのでしょうか」~
「花緑青、今はなにをしている。ずっと人間界にいたのか?」
「ずっと人間界の金峰山(きんぷせん)にこもって修行をしていました。人間の修験者に紛れて滝行三昧です。少しでも神気を高めて兄上のお役に立ちたいと思っていたので」
「それは殊勝な心掛けだ。お前のような弟がいて俺も誇らしい」
「勿体ないことです。兄上こそ歴代屈指の天帝だと聞き及びました。弟として鼻が高くなりました」

 ハハハッと花緑青が照れくさそうに笑いました。
 ……嘘臭い。そう思ってしまうのは昼間の姿を知っているからでしょうか。
 しかし会話は続きます。

「修業は終えたのか?」
「はい、おかげさまで。次は高野山(こうやさん)にでも行ってみようかと。でもその前に路銀を稼がなければならないので、今は都でおみくじ屋をしています」
「みくじ屋。そういえば鶯、今日は見慣れぬみくじ屋に会ったと言っていたが」
「……はい。(くだん)のおみくじ屋とは……花緑青様です。驚きました」

 私は居心地悪さを覚えながらも答えました。
 そんな私に花緑青も大袈裟(おおげさ)に驚きます。

「ええっ、義姉上(あねうえ)がいらっしゃっていたんですか!? これは驚きました! 市女笠(いちめがさ)を被っていたので気づけませんでした! 知らなかったとはいえご挨拶できず申し訳ありません!」

 ……白々しい。
 たしかに市女笠は被っていましたが気づいていないはずがありません。だってそういう太々しい雰囲気でした。

「お気になさらず。今が初対面のようなものです」
「ありがとうございます。やはり義姉上はお優しい。兄上が寵愛されるわけだ」
「ああ、鶯を天妃に迎えることができた俺は幸運だ」

 黒緋はそう言うと私に向かって笑んでくれます。
 たったそれだけなのに内心の苛立ちが薄れていくよう。

「鶯、みくじを引かれたと言っていたな。結果は覚えているか?」
「え、あ……、えっと、意味がないものと思い、すぐに忘れてしまいました……」

 突然聞かれて、答えを誤魔化しました。
 もちろん結果は覚えています。大凶なんてそうそう忘れることはできません。ましてや内容は思いだしたくもない。
 しかし黒緋は納得してくれます。

「そうか、忘れてしまえるくらい他愛ない結果だったんだろう。みくじの結果はそれくらいが丁度いい」
「そうですね」
「人間のみくじ屋なら天妃のお前を占うのは不可能だが、花緑青のみくじなら別だ。どんな結果がでたか知らないが、お前のことだ、きっと幸運に恵まれたものだろう。花緑青のみくじは当たるぞ」
「はい。……」

 曖昧(あいまい)に微笑んで(にご)しました。
 花緑青のみくじは当たる。断言されたそれに指先から冷えていく。頭が真っ白になって、おみくじの結果だけがぐるぐる回る。
 でも黒緋の(うつわ)が空になっていることに気づくと銚子(ちょうし)を手に取ります。

「黒緋様、どうぞ」
「ありがとう。お前も飲むといい」
「はい、では少しだけ」

 私は顔に笑みを貼りつけたまま器に酒をそそいでもらいました。
 くいっと酒を煽ります。いつもなら一口飲むと喉と腹が熱くなるのに、今はどれだけ飲んでも頭は冷めたままで一切熱くなることはありません。
 こうして再会を喜ぶ兄弟の晩酌の時間はすぎていくのでした。



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