もう誰にも恋なんてしないと誓った

30 そこに綴られた言葉◆シンシア

 オースティン様の言葉に驚いた。 

 さっきはわたしの体調が悪いから手短に、と仰ったのに?

 わたしを見るオースティン様の口元が微かに緩んでいる。

 
 この返事は、わたしがした方がいいの?

 どうしたらいいのか判断出来ずに、父の方を窺うと難しい顔をしていたけれど、フレイザー様は頷いていた。

 


 わたしと話をしたいと仰ったオースティン様だけが残り、閣下は先に戻られることになった。


 破談相手の父と応接室で向かい合い、デタラメなフレイザー様の通訳で会話等なさる気にもなれないのだろう。
 会見前には出迎えなかった父も、同席していなかった母も、お見送りには立ち、閣下に礼を取った。


 見送るわたし達に軽く会釈をされた閣下は、侯爵家の馬車の前に立つ従者から何か受け取られ、再びこちらの方に戻ってこられた。
 そして手にされた包みをわたしに差し出された。


「貴女にこれを」


 今日、挨拶以外で閣下が声を出されたのは、これが初めてだ。
 差し出されたそれが何なのかわからなかったけれど、目の前に出されて受け取らないわけにはいかず。


「……閣下、失礼ですが、こちらは?」

「7月の貴女の誕生日祝いに用意していたものだ。
 愚息のせいで貴女との縁は無くなったが、是非受け取っていただけないだろうか」

「そのような……わたしがいただいても……」


 まさか来月の誕生日祝いを、いただけるなんて思ってもみなかった。


「受け取ってやってくださいませんか」


 閣下の隣に立つオースティン様からもそう言葉を添えられたけれど、受け取って後から何か不味いことにならないか、フレイザー様の様子を窺うと。
 またしても頷かれたので、それならと遠慮なくいただくことにした。


 後からよりも今、閣下の目の前で何を贈ってくださったのかを確認して、御礼をお伝えしようと思った。
 閣下とは、今日以降お顔を拝見する機会はもう二度とないだろうから。


 立ったままで、無作法だったが。
 銀色のリボンを手解き、薄桃色の包装紙を開くわたしを咎める人は誰も居なかった。
 閣下もオースティン様も、父も母も。


 ……それはあの夜、閣下が諳じられた古典詩の詩集だった。
 わたしの瞳の色の藍に金の複雑な模様を入れた、大層美しい装丁の詩集だった。
 隣に立っていた母が息を飲んだ。
 明らかに高価である装丁に触れる指が震えた。
 そして、表紙を開くと。


 『この先
  貴女が歩む道程に
  幸多かれと願う』


 閣下の見事な手蹟によるお祝いの言葉が綴られていて……
 それを目にして、わたしは……


「済まない、泣かせるつもりはなかった。 
 酔った男の戯れ言を気に入ってくれた貴女に用意したものだ。
 手元に残しても他に渡す宛がない。
 助けると思って受け取って欲しい」


 「……ほ、ほんと……にあり……」

 
 思わぬ贈り物とそこに綴られた言葉に胸が詰まり、そこから先は言葉にならないわたしに。
 閣下が胸ポケットから白い絹のチーフを抜かれて、手渡してくださった。
 手触りが良い上に、とても良い香りがしていて、わたしの涙で濡らしてしまうのが躊躇われた。



 前回邸にいらっしゃった顔合わせの食事会。
 同じ様にお見送りをした時は、閣下と父は固く握手を交わしていたが、今回は無い。

 サザーランドとハミルトンの縁は切れた。


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