岩泉誠太郎の結婚

流されたその先にあるもの

「椿、ただいま」

 リビングで寛いでいた彼女に背後から抱きついて首筋に顔を埋める。はああ、いい匂い、落ち着く、大好き。

「あれ?今日は早かったね?」

「ん?ああ、やっと澤田薬品の件が俺の手を離れたから‥‥ようやく椿との時間を削られずに済む。椿が足りなくて死ぬかと思った」

 彼女は今、体調を崩して休職中だ。

 侮蔑の視線、悪質な噂や陰口、エスカレートする嫌がらせ‥‥それらは一向に収まる気配はなく、それでも彼女はそれに耐え続けていた。

 ある日、いつも通りに仕事を続けていた彼女が首と背中に激痛を訴えた。受診の結果、痛みの原因は帯状疱疹であると診断され、出社が不可能となったのだ。

 あれから半月以上経っていた。その間ひたすら我慢を重ねていた彼女が強烈なストレスに晒されていたのは言うまでもないだろう。

 犯人の特定まではすぐだったが、相手は大企業のお嬢様だ。個人的な制裁を加えたところで金の力で有耶無耶にされかねない‥‥それでは満足できなかった俺は、多少時間がかかっても大元を断つことを選択した。

 怪文書が出回ってしばらくはおとなしくしていた澤田やよいが、その頃から再び俺の回りをうろつくようになっていた。それがさらなるストレスとなって椿の体を蝕んだのだ。

 澤田やよいを刺激すると、また椿が攻撃されるかもしれない‥‥今は我慢するしかない。

 だが椿はもう限界だ。これ以上彼女に我慢をさせるわけにはいかない。

 澤田やよいの問題が解決すれば、俺達の関係を公表してもいいだろう。夫や恋人じゃなくても、俺が彼女の盾となる方法もあるはずだ。だからそれまでは、家の中で穏やかな気持ちで過ごしていて欲しい‥‥

 俺は彼女に全ての事情を話し、休職することを納得してもらった。

 澤田やよいが動いているからには、まだ見張られてる可能性もある。ここにいる限り、彼女は完全に出歩けないのだ‥‥本当は実家に戻った方が良かったのかもしれないが、どうしても俺の目の届くところにいて欲しかった。

 今回の件は俺のせいで起こったことで、彼女には全く非がない。

 もちろん彼女には必死で謝罪した。その後も続く被害で彼女が傷付く度に謝る俺を、彼女は何度も何度も許してくれた。

 恋人ひとり守ることもできないどうしようもない俺を、どうして彼女は許し、受け入れ続けてくれるんだ‥‥?

「うーん‥‥‥‥あ!もしかしたら、これが結婚しても大丈夫ってことなのかも?」

 爆発するかと思った。

 思考能力がゼロになった俺は欲望のまま彼女を寝室へと連れ去り、翌朝、正式に彼女へプロポーズをした‥‥‥‥パンイチで。
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