青春は、数学に染まる。 - Second -

浅野先生



「………」
「………」


ある日の数学科準備室。


部屋は…引くほど静かだった。



「え、っと…早川先生と藤原さん、何かあった?」
「……」


今日は軽音部が休みらしく、浅野先生は数学補習同好会を覗きに来た。

私と早川先生は…あれから必要最低限の会話しかしていない。



「浅野先生は教える生徒がいないのですから。ここから出られてはいかがでしょうか」
「いなくても副顧問なんですから、いいじゃないですか」
「………」


無表情な早川先生。
ここまで感情が無なのも珍しい。


浅野先生は首を傾げながら私に視線を向ける。

目が…合った。


「そういえば藤原さん。2学期入ったら文化祭実行委員を決めないといけないんだけどさ。良かったら僕指名ということでやってみない? というのも、文化祭実行委員会の担当が僕なんだぁ」

想像の斜め上をいった浅野先生の言葉。
文化祭実行委員会…そうか、もうすぐ文化祭の時期。

去年は数学の補習に追われ過ぎて、文化祭のことは殆ど記憶に残っていないけれども。


まぁそれ以上に、文化祭に興味も関心も無いが。



体育祭が無いこの学校では、文化祭が一大イベントだ。



「…先生が担当なら、実行委員やる人なんてすぐに見つかりますよ。むしろやりたい人が多すぎて喧嘩になるんじゃないですか」
「いや、藤原さん…分かってないね。やる気が無いのに立候補する人より、藤原さんが良いって僕は言っているんだよ」
「やる気なら、私もありませんけど」
「藤原さんはやる気が無くても、確実に実行してくれると僕は信じているから」
「……」


浅野先生と話していると頭が痛くなる。

しかもこんな話…早川先生がいる横でしなくても良いのに。




横目で早川先生の方を見る。
先生の表情は変わらず真顔だった。


「まぁ、藤原さんが嫌って言っても指名するけど! 僕が藤原さんと委員会の活動をしたいっていうのもあるし!」


いつもの無邪気な笑顔を見せる浅野先生。


ヤバい…直感でそう感じた。


案の定、早川先生は…ドンっと本を強く置いて立ち上がった。
そして浅野先生の前にプリントの束を置いて扉に向かう。


「…浅野先生が出て行かないなら、僕が出ます」
「え、早川先生?」
「後は任せます」

そう言って本当にどこかへ行ってしまった。



「……はぁ」

思わず、大きなため息が出る。


本当、大人気ない人。
どうしようもないくらい、子供みたいな大人だよ…。




「浅野先生。私、ちょっと追い掛けてきます」
「……いや、待って。行かないで」


そう言って、私の腕を掴んだ…。




どうして…こうなるのか…。
最早、意味が分からない。



「…離してください」
「離さない。どうして…早川先生を追うのかな」
「私の顧問ですから」


腕を振ってみる。しかし、浅野先生の力は強く、なかなか振り払えない。


早川先生が逃げるから…。
責任を取ってもらわないと。


「藤原さんと話したかったんだ。担任とは言え、いつでも話せるわけでは無いし。数学補習同好会にはいつも早川先生がいるから」
「………」
「だから僕は、今はいいチャンスだと思っているよ」

目の前にいる浅野先生はいつもみたいにヘラヘラとしていない。
見たことが無いくらい、真面目そうな表情だった。

「……」

もう一度、腕を振ってみる。
それでもほどけない。


「そんなに握られるのが嫌?」
「はい、嫌です。…私は、早川先生を追わなければなりません」
「…何で?」
「顧問だからです」


そう答えると、浅野先生はやっと手を離した。


「神崎くんの件以降、僕は君を気に掛けているんだ。…どうか、それは知っていてほしい」
「………別に、気に掛けて欲しいと頼んでいません」


我ながら、酷い台詞だと思った。
けれど、突き放すにはそのくらいしないと。



浅野先生は無言で固まったまま動かない。
そんな先生を横目に、私は数学科準備室を飛び出した。






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