新・東海道中膝栗毛ーadventure
ユウイチは、朝、バイトのコンビニに向かった。朝8時半だった。
 ここは、大阪市住吉区西長居町の路地裏である。ユウイチは、自転車で走っていた。ユウイチは、もう40代後半になっていたが、未だに、両親と暮らしている。だが、小遣いは、コンビニの給料でまかなっている。
 もはや、街には、コロナ感染予防のマスク着用がなくなっていた。しかし、毎日、単調な毎日を、ユウイチは、暮らしていた。
 少し行ったところに、なんば駅に向かう南海高野線の線路がある。そして、太閤秀吉が、母親の大政所の病気が治るように拝みに行った住吉大社が、ある。
 昨日、ユウイチは、恋人のアヤナと喧嘩になった。
 そして、そんな中、ユウイチは、バイト先のコンビニに向かっていたが、ふっと、ユウイチは、この場を逃げたい気持ちになった。
 その時、目の前を特急こうや号が、なんば方面に走った。
 ユウイチは、40代後半になっても、臆病だった。だが、その時、ふっと「どこか遠くへ行きたい」と思った。
 ユウイチは、「東京へ行きたい」と思った。ただ、ユウイチは、学生時代、中国地方の公立大学L県立大学へ行って、卒業した。本当は、上京したかったが。できなかった。単に、親に反対されて、諦めた。
 公立大学を卒業して、研究所で仕事をしていた。大学院で、修士号を取得した。三重県の畜産試験場で仕事をしていた。そして、10年以上は、勤務していたが、健康診断で、身体の異常がみつかり、やめた。畜産試験場で研究員として仕事をしていたが、手術をした。
 40代になって、大阪へ帰ってきた。
 そして、今のコンビニのバイトをして、数年が経過した。
 ユウイチは、若い時、役者になりたいと思っていたが、周りに影響されやすく、そして、役者になりたいとか言えず、そのまま、公立大学へ行った。そして、両親の影響でそのまま、公立大学の大学院を卒業した。
 勿論、ユウイチは、勉強はできたが、元々、気は弱く、臆病なユウイチは、流されるまま、今の年齢になった。
 今日は、晴れていた。その時、ユウイチは、「これから、東京へ行こうか」とふと思った。しして、バイト先に「今日は、休みます」と言った。
 南海高野線住吉東駅に自転車を置いて、そのまま、各駅停車なんば行きに乗った。そして、そのまま岸里玉出、天下茶屋、萩之茶屋、新今宮、今宮戎、なんばと通った。
 なんば駅で、ユウイチは、「みんなもこれから仕事に向かっているのに、自分は、こんなことをしていいのか」とためらった。自分は、こんな冒険をして良いのかと思った。
 ユウイチは、10代の頃、両親から「こんな事をしてはいけない」と言われ続け、そして、ギャンブルも、お酒も、恋愛もできなかった。または、「芸人になるのに、遊びは必要か」とも思っていた。親の自我を打ち破るだけの力もなく、受け身なユウイチが、いた。
 ただ、なんば駅からの地下鉄ー大阪メトロ御堂筋線に乗っているーユウイチは、まさに自主的に動いているとと本人は、感じていた。なんば駅から、心斎橋、本町、淀屋橋、梅田、中津、西中島南方、新大阪駅まで来た。
 そして、2024年3月には、御堂筋線は、江坂から北大阪急行の千里中央から箕面萱野まで伸びる。
 海外からのビジターが、カートを引いて新幹線のプラットフォームへ向かっている。新大阪駅のプラットフォームは、御堂筋線の車両の音と道路を走る車の音が、響いていた。
 ユウイチは、手持ち20万円のお金で、新幹線の指定席と特急券を買った。そして、ホテルの予約もしないで、9時15分のぞみ号東京行きに乗ることに決めた。
 そのまま、新幹線の乗り場へ向かった。ユウイチは、40代になっても、冒険なんてしたことがないと卑屈になっていた。そして、非日常の東海道新幹線の乗り場へ向か合った。
 ユウイチは、「東海道」と聞くと、「五十三次」とか「膝栗毛」を思い出した。しかし、あんな弥二さん喜多さんみたいに悠長なことができるのか、と思った。
 そして、ユウイチは、売店でカルビ弁当を買って、やって来たのぞみ号東京行きの車内に乗り込んだ。
 車内のアナウンスが、聞こえた。車掌の肉声が、聞こえた。
 9時15分。のぞみ号東京行きは、新大阪駅を出発した。カタンカタンと音を立てて、動き出した。
 ユウイチの周りは、出張へ行くサラリーマンや海外旅行客が、いっぱいいた。
 ユウイチのLINEが、PRRと鳴った。
ー今日、バイトどうしたの?アヤナ
 とあった。
 アヤナは、昨日、喧嘩した相手だった。実は、アヤナは、コンビニの同僚だ。アヤナは、少しだけ、女優の有村架純さんに似ていた。
 アヤナとは、天王寺動物園へ行き、海遊館へデートをしたのに、と思った。
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