完璧主義な貴方の恋のお相手は、世話が焼けるくらいがちょうどいいでしょう?
 王宮での謁見も無事に済ませ、ようやくシェリーも正式に社交界デビューを果たした。

 緊張し過ぎて何度も卒倒しそうになったが、リチャードが何度も練習に付き合ってくれたおかげで、長過ぎるドレスの裾を踏むこともなく、乗り切ることが出来た。"正式なお辞儀"もこれまでで一番美しく完璧だった。

 社交界デビュー後、最初の舞踏会はディオス夫人の主催するものだった。

 マダム・ジュリアの仕立てたドレスはいつだって完璧だった。シルクのドレスに繊細なグリーンのレースが品よくあしらわれ、背中には大きなリボンがついている。同じグリーンの糸で刺繍された小花が足元へと流れるように広がっていた。

 大きく開いた胸元には、リチャードが選んだ真珠のネックレス、誰もが振り返るほど頭の先からつま先まで完璧だった。

ーー何もかも完璧、のはずだったのに。

「……どうして貴方お目付け役なの?」

「私ではご不満ですか?」

 リチャードが心外だと言わんばかりに驚いている。

 大抵の場合は母親か姉妹がお目付け役として付き添うものだ。本当だったら、オリビアが付き添うはずだったのが、急用ができて行けなくなってしまった。これは仕方がないことだ。

(だからって、リチャードに頼まなくても……)

 代わりに母を頼もうとしたところ、リチャード本人が強く希望したらしい。

「最近では兄弟や従兄弟、執事だってお目付役として付き添うことがあるんですよ」

「それはそうかもしれないけど……」

「大丈夫、邪魔はしません。お嬢様に変な虫が付かないように見張るだけですから」

 胸を張ってそう言い切るリチャードに、シェリーは小さく溜息を吐いた。こうして隣に立っていると、リチャードの身長が思っていたよりも高いことに気付く。普段はシェリーの声が届きやすいように身を屈めることが多い。

(なんだか圧を感じる……)

 リチャードは男性が近づこうとすると、にっこりと微笑みかける。そうすると、大抵の男性は引き攣ったような顔でくるっと来た道を戻ってしまう。

「シェリー!」

 弾むような声に振り返ると、声の主はナタリー・パリッシュだった。ブロンドの長い髪をゆるくまとめて、大きなリボンでまとめている。淡い桃色のドレスは少女のように可憐なデザインだ。大人びた顔立ちのナタリーに甘いドレスがよく似合っていた。

 二人は手を取り合うと、小さく悲鳴のような声を上げた。

「ナタリー……! すごく綺麗ね、ドレスもかわいい」

「シェリーの方が可愛いし綺麗だわ。遠くから見て思ったの、あの綺麗な人は誰かしらって……こんばんは、リチャード」

「こんばんは、ナタリー様。今夜も一段とお美しいです」

ありがとう、とナタリーは微笑んだ。リチャードも完璧なよそ行き(・・・・)の笑顔を浮かべ、シェリーにさりげなく目配せをすると少し離れたところへ移動してしまった。

 どうやら彼は二人が気兼ねなく話せるように気を遣ってくれたらしい。

「ねぇシェリー、本当にすごく綺麗よ」

 ナタリーはそう言ってうっとりシェリーのドレスを眺めた。ナタリーはオリビアに似ている。年頃の女の子たちの中でも特に流行に敏感で、ドレスも靴もアクセサリーも遊びも最先端を知っている。それでいて流行に流されることなく、独自の可愛さを追求する。

「ナタリーこそ、本当に綺麗だわ」

 ドレスに無頓着なシェリーにも、ナタリーのドレスがどれほど趣向を凝らして作られたものかわかる。

「リチャードは今日も素敵ね」

 ナタリーはシェリーの耳元に顔を寄せてこっそり囁いた。

 彼女はリチャードがコールドウェル家に来た時からそう言っている。シェリーだって最初に彼を見た時はそう思った。

 ーー素敵で年上の憧れの男性……。

「でもそう見せているだけよ、ナタリーがいるから紳士ぶってるんだわ」

 シェリーは少し離れた所で真面目な顔をして立っているリチャードの方を見た。

「本当はイライラピリピリ男なのよ」

 シェリーは声を顰めた。

「何よ、ピリピリ男って」

 ナタリーは声を押し殺して笑っている。

 二人がくすくすと顔を寄せ合って笑っていると、隣の女性がリチャードの存在に気付いたようで、近くの女性から情報を集め始めた。

「あの方をご存知?」

「いえ、知らないわ」

「私、見たことあるかもしれない。彼は確か……」

 周りの女性たちが彼を見て色めき立っているも気付いていた。中には柄付きの眼鏡で彼をじっくりと品定めしている母親もいるくらいだ。

 シェリーとナタリーとの視線に気付くと、リチャードはふっと大袈裟に眉を顰めた。

 陰口を言っていると思っているようだ。そう思わせたままでいようと、敢えて視線を外さずにいるナタリーに話しかける。ナタリーは気付いていない。話題は社交界デビューの日のことだ。サンドイッチについて話している。

 リチャードは呆れたように笑うと、口をパクパクさせながら何かを言っている。何を言ってるのかは全然わからない。 

 "また、私の悪口ですね"と、"わかってるんだからな"、までは理解できた。

(まったく……自分だって子どもみたいに)

 シェリーはふっと笑って視線をリチャードから外した。

「そうだ、アランに会った?」

 ナタリーは視線をあちこちに行き渡らせながら訊ねた。彼女も素敵ない男性をいち早く見つけようと必死だった。出遅れたら壁の花になってしまう。

「ええ、なんだか少し会っていない間にまた背が伸びたんじゃないかしら。その様子だとナタリーも会えたのね。……ねぇ、彼元気そうだった?」

「ええ、元気だったわ。どうして? 」

「少し心配で……お祖母ちゃんの所にいたって言うけど様子が変だし」

 シェリーはどうしても昨日の様子が気になっていた。

「そうだったの? ……あら、噂をすれば」

「シェリー、ナタリー。二人ともすごく綺麗だ」

 アランはいつになくきちんとした正装していて、ふんわりとしか髪も丁寧に流している。前髪を上げているといつもより大人びて見え、なんだか知らない男性と話しているような気持ちになる。

「アラン……」

「シェリー、僕と踊ってくれない?」

「ええ、もちろん」

 シェリーは嬉しそうに、恭しく差し出されたアランの手を取った。振り返ると、ナタリーも別の男性に声を掛けらていた。背がすらりと高く、精悍な顔付きをした青年だった。

 ナタリーと視線を交わす。どうやらお互いに"壁の花"にならずに済んだ。

 ゆったりとした音楽に、ただ身を任せればいい。リチャードの助言を、シェリーは繰り返し自分に言い聞かせていた。

(ダンスが下手すぎて怒られないかしら、誰かを怪我させてしまったらどうしよう……)

 そんなシェリーの心配を他所に、アランはダンスがとても上手だった。

 彼の導く方へ進めば、足だって絡まったりしないで優雅にステップを踏むことが出来る。リチャードと練習した際は、何度も彼の足を踏んでしまい、しまいには日頃の鬱憤を晴らしているのではないと疑われたほどだった。

「アラン、貴方ってダンスが上手だったのね」

 デビュー後の初めてのパートナーがアランで本当に良かった、シェリーは心からそう思っていた。ここで散々な事になっていたら二度と立ち直れなかったかもしれない。

「そんなことない、シェリーとだからだよ」

 アランはお手本のように答えた。

「他の男性がみんなアランみたいに優しい人だったらいいのに」

 あんなに苦痛でしかなかったダンスが、こんなに楽しいものだと思えたのは初めてだった。もうすぐ音楽が終わってしまう。

「ねぇ、シェリー。あのさ……」

 それなら、僕とずっと一緒にいようよ。アランがそう言い掛けると、誰かがポンと肩に手を置いた。決して力強い訳ではないのだが、嫌な圧を感じる。

「同じパートナーと三回以上踊るのはよくありませんね。失礼ですが、アラン様。あちらのお美しい女性が貴方をずっとお待ちしていたようですが……お約束があるのでは?」

 リチャードは申し訳なさそうに声を顰めながらアランに囁いた。

(美しい女性……?)

「そんな約束はしてないと思うけど……」

 アランは動揺していた。美しい女性とは一体どんな人だろう、リチャードも知らないご令嬢だろうか。

 期待を膨らませながら。リチャードの指し示した方を見る。

「……どこ?」

 そこには誰一人、立っていなかった。
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