恋愛下手の恋模様
補佐が伝票を手に取った。
「そろそろ出ようか」
「は、はい」
私はそそくさと手荷物をまとめて、彼に続いた。レジの前で財布を出そうとした私に、彼は片目をつぶってみせた。
「これはお礼だから、ね?」
「でも……」
と言いかけて、私は財布をバッグに戻す。ひとまず支払いをお任せして、後日何かの時にお返しすればいいのだ。
「――ありがとうございます」
私は礼を言うと、少し離れた所で彼が支払いを済ませるのを待った。その間に、あることに気がついた。
同じ会社で働いてはいても、顔を合わせる機会は滅多にない。それなのに「後日」は来るのか――?
「帰ろうか」
彼に促されてドアを開けて外へ出る。
こんな風に補佐と会う機会は、これで最後なんだな――。
そう思ったら、胸の奥に小さな痛みが走った。
なに、今の……。
自分の中に感じた痛みに戸惑っていると、補佐が足を止めた。
「色々とありがとう。それじゃ、気を付けて帰ってね」
「はい。あの、色々とご馳走さまでした。それではこれで」
補佐との時間はとても楽しかった。だから、名残惜しさが心の中に広がったのは仕方がないと思う。せめてこの気持ちだけでも、補佐に伝えておきたいと思った。
それまでの私は、補佐の顔を直視することを避けていた。恥ずかしいと思ったから。けれど、たぶん最後だからと、私は顔をあげて彼の顔を真っすぐに見つめた。
「本当にありがとうございました。補佐と色々お話しできて、とても楽しかったです。いい思い出になりそうです」
「思い出って、そんな大げさな……」
補佐は苦笑を浮かべた。
「岡野さん、君って本当に天然なんだな」
「え?」
小首を傾げて聞き返す私に、補佐は苦笑いを浮かべていた。それから少し考えるような顔をしてから、こう言った。
「思い出にされるのは、なんだか寂しい気がするな。だから……またね、岡野さん」
補佐はそう言うとくるりと背を向けた。
その後ろ姿を見送りながら、私は呆然としながらつぶやいた。
「今、またね、って言ってくれた……?」
補佐が残していったその言葉の響きに、胸がトクンと鳴った。自分に都合のいいように考えそうになる。それを止めようと、私は自分に言い聞かせようとした。
――幻聴だ。ただの社交辞令だ。リップサービスだ。
けれど、無駄だった。「またね」というたった三文字の言葉は私の心を揺さぶり、心の中にしみ込んだ。