繊細な早坂さんは楽しむことを知らない
 普通電車を見送り、次にやってくる快速電車を待つために先頭に立つと、後方はすぐに長蛇の列になる。周囲の喧騒が気になって、イヤホンをつけると、お気に入りの音楽を聴きながら、線路をぼんやりと眺めた。

 イヤホンから流れるのは、男性ボーカリストのバラード曲。歌詞に散りばめられた言葉の数々が、疲れ切った奈江を勇気づける。

 生きていていいんだよ。彼の声を聞くと、どこからか、そんな優しい声が聞こえてくる気がする。

 しかし、すぐに思考が音楽を遠ざける。蒸し暑い夏の夜に、何をやっているのだろう。誰とでも分け隔てなく話す後輩に付き合って、仕事のグチにあいづちを打ったり、評判のいい彼に、頑張ってるよね、とねぎらいの声をかけてあげるだけでいいのに、こそこそと逃げるようにして、暑いホームで過ごすなんて、自分でもあきれてしまう。

 こんなめんどくさい性格に付き合って、もう二十七年になる。短期大学を卒業後、運良く不動産会社に就職できた頃は、性格を変えようと同期との交流に積極的に参加していたが、いつの頃からか疲れ果てて無理がきかなくなり、同期が異動や退社でいなくなった今では、とっつきにくい事務の人という立場を固守するようになってしまった。
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