Runaway Love
 かろうじて残っていたゼリー飲料を飲み切り、ゴミ箱に入れると、不意にドアがノックされた。
「――はい?」
 返事をすると、そっとドアが開き、現れたのは――

「――……早川」

「……よう」

 周囲をうかがいながら入ってくると、早川は、気まずそうにあたしの隣の外山さんのイスに座った。
「まだ、痛むか」
 一瞬、何の事かと思ったが、すぐに頬の傷だと気づく。
「……気にしないで」
「――……気になるに決まってるだろうが」
「用件は」
 あたしは、早川の言葉を遮るように尋ねる。
「――……ああ……聞いてるかと思うんだけどよ」
 言いづらそうにしているので、それに続けた。
「大阪支店だそうね」
「まあ、来週から三か月だけどな」
 何てことないように、明るく言う早川だが、原因はあたしにもあるのだ。
「――……ごめんなさい。……あたしのせいで……」
 すると、すぐに頭がぐしゃぐしゃにかき混ぜられるように、撫でられた。
「ちょっ……!」
 あたしは、手が離されると、すぐに髪ゴムをほどき、結び直した。
 かなりボサボサにされてしまい、早川をにらみ付ける。
「何すんのよ!」
「――お前のせいじゃねぇよ。確かに、騒ぎは起こしたが、コレは俺が契約取った時から、部長に言われてた事だ」
「――え」
 あたしは、思わず、体ごと早川に向かい合う。
「じ、じゃあ、ペナルティとかじゃ……」
「当然だろうが。それに、ここで結果残したら、昇進確定だって言われたからな」
「――……え?」

「関西の新規販路の規模次第で、一課の課長だと」

「……え??」

 あたしは、あっけにとられて、早川を見た。
 何、それ。
 じゃあ、あたしと野口くんだけ……。
 そう思ったが、早川は苦笑いで続けた。
「けど、騒ぎの責任はちゃんと取らせられたぞ。――来月の給料の一割と、次のボーナス、二割減額確定だ」
「……ご、ごめん……」
 夏のボーナスは、もう入っている。
 だいぶ先になるが、冬のボーナスが減額という事だ。
 早川だけが、重い気がするが、今更決定が覆る訳ではない。
「まあ、別に使い道も、そんなにある訳じゃないしな」
「何言ってんのよ。何があるか、わかんないでしょ」
 あたしは、諫めるように言う。
 このご時世、明日、会社が無事という保証は無いのだ。
 ――まあ、縁起でもないし、そうならないように、みんな頑張っているんだけど。
 けれど、自分がどうなるかは、絶対にわからないのだ。
「さすが、真面目だな」
「――褒めてないから、それ」
 思わず視線をそらす。
 ――”真面目”と言われて、良い事なんて、何も無いんだから。
 すると、早川はあたしの頭を、今度はそっと撫でた。
「――バカ。気にしてんじゃねぇよ。……お前の事、良く知りもしないで、言うヤツの言葉なんか」
「……ありがと……」
 けれど――深く深く刺さった棘は……そう簡単に抜けないのだ。
 早川は、あたしの返事に眉を寄せたが、すぐに立ち上がった。
「とにかく、お前はいつも通りでいろ。――……それだけだ」
「……何よ、それ……」
 意味が取れない。
 何のつもりかと、早川を見やれば、困ったように微笑まれた。
「――バカ。……しばらく会わないうちに変わった、なんて、思いたくないんだよ」
「……変わらないわよ。……何も……」
「だと良いな」
 そう答えると、早川はうなづいて部屋を出て行った。 
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