Runaway Love
「茉奈さん!」

「え」

 肩を揺らされ、目を開けると、真上に不安そうにしている野口くんのキレイな顔。
 眼鏡を取っていたので、その威力はかなりのものだった。
 瞬間、息をのみ、ようやく、眠っていたのだと気づく。
 ゆるゆると起き上がると、嫌な汗で背中がじっとりとしていた。

「だ、大丈夫ですか?――すごく、うなされてましたよ」

「――大丈夫。……おはよう、野口くん」

 挨拶をして、ベッドから下りようとすると、思い切り後ろに引き寄せられ、バランスを崩してしまった。
 けれど、野口くんは、そのまま抱きしめてくる。
「――おはようございます。茉奈さん、また、罰ゲームしますか」
「えっ、あ、だ、大丈夫っ……!」
 耳元でささやかれ、反射的に目を閉じてしまう。
 すると、背中に唇の感触。

「ひゃぁんっ……!」

「――ここなら、見えませんよ」

 そう言って、数回、同じようなところにキスを落とす。

「ね、ごめんなさいっ……駆っ……くんっ……」

 朝から、あんまり恥ずかしい事はしたくないのに。
 カーテンの隙間から入り込む日差しは、もう、熱を持っている。
 ただでさえ、汗をかいているのに――そう思って、ようやく我に返った。

 ――そうだ。あの後、一緒のベッドで眠ったんだった。

 早川の時と同じく、客用の布団が無かったからだけど、あの時とは状況が違う。

 野口くんは、眠るまで、ずっとあたしを抱き締め、耳元で、好きです、と、繰り返し囁いていた。

 それを思い出した途端、恥ずかしくなってしまい顔を伏せる。
「茉奈さん?」
 すると、野口くんは、いぶかしげにあたしを呼んだ。
「――……い、今さらなんだけど……恥ずかしくなって……」
「オレは、一緒に眠るだけでも、うれしかったですけど?」
 そう言うと、また、後ろから抱き着く。
「具合、どんなですか?」
「えっ、あ、だ、大丈夫……。――元々、そんなに重いタイプじゃないみたいだから……」
 言ってしまって、後悔。
 そんな事、野口くんに言って、どうするの。
 けれど、彼は安心したのか、あたしの身体をそっと抱きしめた。
「――良かったです」
「――……ありがとう……」
 あたしは、その温もりに、少しだけ浸った。


「――今日、どうします?」

「……そうね……」

 朝食を簡単に済ませると、野口くんが、あたしに尋ねてくる。
 いつもなら、掃除や洗濯、ため込んでいるいろいろを片付けるのだけど。
「駆くんは、いつも、どうしてるの?」
「――オレは、簡単に部屋片付けたり、洗濯したり……。あとは、本屋とか、図書館行ったりしますね」
 あたしは、その言葉に目を輝かせてしまう。
「――行きます?」
 もう、返事を待つ前に、野口くんは、クスリ、と、笑って言った。
「――……い、良いの?」
「茉奈さん、顔いっぱいに、行きたいって出てますけど?」
 思わずうつむくが、開き直って彼を見上げる。
「……じ、じゃあ、お願い……」
 すると、急に腕を取られ、唇が重なる。
「か、駆、くん?」
「――また、無意識ですね」
「え?」
「今度、鏡で見せましょうか?茉奈さん、自分がどんな表情(カオ)してるか、わかってないですよね」
「わ、わかる訳ないでしょ」
 少しだけふてくされて、あたしは顔を背ける。
「――外では、ダメですからね」
「……わかんないってば」
「わかるまで、外、出さないでおきましょうか?」
 あたしは、その言葉にギョッとして、野口くんを見上げた。
 彼は、クスクスと笑いながら、
「冗談ですよ」
 と、返すが、その瞳は、冗談を言っているように見えなかった。
「――……ごめんなさいってば」
 あたしは、一瞬だけ怯むが、野口くんに抱き着くと自分からキスをする。
 真っ赤になって見下ろす彼の目は、もう、元に戻っていた。
「……茉奈さん、ズルいです」
「お互い様」
 そう言うと、あたしは、洗い物を始め、野口くんは隣に立って、食器を拭いてくれた。

「――何か、新婚、みたいですね」

 棚に片付け終えると、彼は、つぶやく。

「……新婚”ごっこ”?」

 あたしは、ポツリとそれだけ返すと、出かける支度を始める。

 ――野口くんを、振り返る事は、できなかった。
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