Runaway Love
「おう、お疲れ、杉崎」

 早川が、目の前の壁に寄りかかりながら、手を上げ、そう言った。
「……早川」
「おお、こっちは、デート確定か。いいね、行ってらっしゃい」
「……部長」
 あたしは、奥から愉快そうに言う部長を、半ば本気でにらみつける。
 すると、素知らぬ顔をされてしまったので、大きく息を吐いた。
 これ以上は、あたしだけが消耗してしまう。
 そう思い、ドアを閉めて、エレベーターホールへと歩き出した。
 それを見て、早川が慌ててついてくる。
 経理部は五階の奥に部屋があり、他は資料室が三室のみ。
 終業後には、滅多に来る人もいない。
 あたしは、大きくため息をつくと、後ろの早川を振り返った。
「……帰るんだけど」
「どこかでメシ食って行かねぇ?」
「お断り」
 昨日の今日で、よくそんな平然と誘えるわね。
 あたしは、口を閉じると、足を進める。
「何だよ、機嫌悪ぃな」
「良いと思う訳?」
 そして、エレベーターホールに到着すると、すぐにボタンを押し、そのまま早川と距離を取って待つ。
 数十秒もしないうちにドアが開いたので、あたしはさっさと箱の中へと乗り込み一階のボタンを押した。
 そして、あっさりと着いたエレベーターを下りると、ロッカールームへ足を向ける。
 早川は、基本、ロッカーは使っていないので、ちょうど良い分かれ目だ。
「じゃあね。お疲れ様」
「え、あ」
 これ以上の隙は見せたくない。
 あたしはすぐに、早川に背を向けた。
 そして、ロッカールームに入ると、幸いそんなに人はいなかった。
 大して顔を合わせない人たちと、軽く会釈をし合い、あたしは、さっさと荷物を持って部屋を出る。
 正面玄関へ向かおうと足を進めると、待機していた早川の姿が見え、あたしは、急きょ裏口へ方向転換した。

「あれぇ⁉早川主任、どうされたんですかぁ?!」

 すると、後方から聞こえたのは、媚びたような女の声。
 チラリと振り返れば、受付嬢の二人が、早川を挟んでテンション高く話している。
 会社の顔とも言える美女二人は、どうやら、早川がお気に入りのようだ。
 あたしは、気配を消しながら裏口から出ると、そのまま裏門を通って大回りで家に帰る。
 ――ああいう女の方が、アイツにはお似合いだろう。
 あたしのような、無愛想で、面白くも、可愛くもない女より。
 無意識に、ため息をついてしまい、苦ってしまう。

 ――これじゃあ、あたしが嫉妬してるみたいじゃない。

 ――……ばかばかしい。

 少しだけ足を引きずりながらも、どうにか家にたどり着く。
 どうやら、早川には見つからなかったようで、一安心だ。
 けれど、部屋に入った途端、不意打ちのようにスマホが振動した。
 あたしは、ビクリと背筋を伸ばしてしまうが、すぐにバッグから取り出す。

 ――”着信”。

 ――”岡 将太”。

 ……何で……!!?

 スマホを持ったまま硬直すると、十コール鳴ったところで、コール音が止まり、あたしは、ほう、と、息を吐いた。
 あたし、あのコに番号教えた覚えないんだけど……。
 そう思ったところで、固まった。

 ――……まさか……記憶が無い時……⁉

 たぶん、確定だろう。
 あのコ、油断してたら、寝首を掻かれそうなタイプみたいだし。
 ヘラヘラした笑顔の裏で、何を考えているのかわからない怖さみたいなものを感じるのだ。
 すると、今度はメッセージが届く。

 ――今日は、残業無しですか?

 あたしは、それを見て、そのままスルーした。
 返事をしなきゃいけない義務は無い。
 きっと、普通だったら、浮かれてしまうんだろう。

 けれど、素直に喜べない。
 喜べる訳が無い。

 いずれ、彼も奈津美の方が良いって、気がつくはずなんだから。



 ――失う事がわかりきっているのなら、最初からいらない。

 あたしは、誰も好きにならないし、誰からも好きになってほしくない。

 ――あたしは、ただ、あたしを守りたいだけなんだ。
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