Runaway Love
「――……オレ、昔から大人しい子供だったんで、母親が怒った記憶、無いんですよ。姉二人は、怒るというより、いつも八つ当たりでしたし」
「……そ、それは……」
 どう反応していいのかわからず、あたしは、そのまま続きを待った。
 耳に届く、野口くんの鼓動は、やっぱり、少しだけ速い気がする。
「中学までは、顔出してたから……そのせいで、誰かがオレを怒ろうとすると、女子がブーイングするような感じで……」
「……圧力に負けたのね」
 それは、何となく想像ができてしまった。
 ――本当に、このキレイな顔は、良し悪しなのか。
 あたしは、そっと、彼の頬に触れる。
「茉奈さん?」
「……あたしが言うのも何だけど……苦労したのね」
「まあ、あきらめてましたけど。――結局、自分を見てくれる人なんて、いないんだって。……全部、うわべだけ」
 野口くんは、あたしの手を取ると、そのまま口づける。
「――あなただけが、真っ直ぐにオレを見て、怒ってくれたんです」
「……そう、だったのね……」
 言いながら、手の甲や平に唇をかすめるように当てていく。
「――か、駆くん」
「……そんな理由で、好きになるんですよ。……結構、単純なんです」
 あたしは、目を見開いた。

 ――何で、あたしなんか。

 その答えだったのか。

「……難しく考えないでください。……あなたは、そのままで、充分素敵な女性(ひと)なんですから」

 そう言って、野口くんは、あたしの、涙が浮かんだままの目元に口づける。
 そして、頬に、額に、唇に――首筋に、次々にキスを落としていく。
「駆くん……」
「――……何度でも、言いますよ。……茉奈さんの、不安が拭えるなら――」
 彼の言葉に、嘘は無いと思う。

 ――それを信じ切れないのは、あたしの問題だ。

 今まで、棘を理由に、自分自身から逃げていた――あたしの。


 いろんな事から、目を背けたままでいたかった。
 自分は、このままで平気だと――それが、正しいと思っていたかった。

 見て見ぬふりをしていられれば――何も変わらないでいられる。
 ――変わりたくなんて、なかった。

 ――でも……それはやっぱり、逃げ、なのだ。

 そんな人間が、みんなの想いから逃げたいなんて――。


「茉奈さん」
 野口くんは、あたしの髪をかき上げ、悲しそうに口元を上げた。

「――オレじゃあ、ダメですか」

「……駆くん」

 あたしは、首を振る。
「……ありがとう……。――……でも、ね……駆くんに言われて、思ったの」
「え?」
「……あたしは……まず、あなた達三人と向き合う前に……自分と向き合わないと、いけないみたい……」
 そう言って、大きく息を吐く。

 結論は、まだ出ない。
 ただ、今のこの状態では、何も考えられないのは確か。

 野口くんは、ただ、口を閉じて続きを待ってくれた。


「――……一度、距離を置かせて……。……一人になって、ちゃんと、考えたいの……」


「……それは、別れる前提ですか」
 その問いに、あたしは一瞬だけ迷い、首を振った。
「――……わからない。……ただ、このまま駆くんと一緒にいれば……きっと、また、傷つける。……それだけは、確かよ」
「――それでも、構いません」

「あたしが、嫌なの。――……駆くんが、大事だから」

 それが、どういう種類のものなのか――それは、これから、わかっていくのだろう。
 彼は、その言葉に、眉を下げた。
「……ズルいですよ、そんな言い方」
「――……でも、本心よ」

 少しの()
 けれど、ゆっくりと、彼はうなづいた。

「――……わかり、ました……」

 そう言って、あたしに口づける。
「か、駆くん」
「――……でも、オレがあなたを想うのは、自由ですよね?」
「そ、それは……そうだけど……」
 早川みたいな言葉で、彼はあたしの逃げ道を塞ぐ。
「――なら、もう一度、頑張ります。――……今度こそ、あなたが、ちゃんとオレを見てくれるように……」
 そう言いながら、あたしの身体をまさぐっていく。
 まだ、何も着けていない素肌には、刺激が強すぎて、思わず反応を返してしまう。
「かっ……駆くんっ……!」
「――今のうちに、刻んでください。――オレが、どれだけ、あなたを愛してるか」

「――……か……」

 スルリと言われた言葉に、目を見開く。
 野口くんは、素知らぬ顔で、あたしの首元に口づけた。

「誰に触れられても――思い出せるように、しても良いですよね?」

 耳元で囁かれ、あたしは、真っ赤な顔でにらむ。

「……やっぱり、ズルいのは、駆くんの方!」

 彼は、泣き笑いのような表情(かお)で、微笑んだ。
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