Runaway Love
 そのまま、あたしのアパートに到着すると、野口くんはいつもの場所に車を停める。

「――じゃあ、おやすみなさい」

「お、おやっす、み、なさい……」

 どうにか返した言葉に、困ったように微笑まれた。
「噛まないでくださいって」
「あ、あのね!さっきの今で、無理でしょ!」
「すみませんってば」
 クスクスと笑う彼に、さっきのような空気の重さは感じられない。
 けれど――言葉の重みは、わかっている。

「――……でも……ありがとう。……ちゃんと、考えるから……」

 あたしは、精いっぱいの誠意を込めて、野口くんに告げる。
 すると、彼は、目を見開いて息をのんだ。

「……もし、駆くんの望むような答えじゃなくても……いい加減な気持ちじゃないから……」

「……ありがとうございます……」

 そう言って、泣きそうな表情(かお)を向ける。
 それが、悲しいのか、うれしいのかは、あたしにはわからなかった。


 部屋に入り、半ば放心状態のまま、機械のように帰ってからのルーティンをこなす。
 夕飯を口にしても、味はほとんどわからなかった。

 ――……どうしたら、良いんだろう……。

 まさか、野口くんにまでプロポーズされるなんて、思ってもみなかった。

 ……あたしが距離を置くなんて言ったから……。
 その上、大阪に出向だなんてなったから――……。
 彼の中で、危機感みたいなものが生まれたのだろうか。

 すると、テーブルに置いていたスマホが振動し、その音で思考が途切れた。
 慌てて見やれば、早川からの着信だ。
 ――昨日出なかったから、仕方ないか。
 あたしは、通話にして、スマホを耳に当てた。

「――何」

『お前、大阪(こっち)に来るって、本当か!』

 あたしは、目を丸くして聞き返す。
「……ドコ情報よ、それ……」
『部長から、こっちが、大阪支社になるって連絡が来て――それで、お前が経理の方の指導に行くって言われて……』
 早川は、少々気まずそうに答える。
 ――まあ、今更ごまかしてもしょうがない。
 どうせ、来週までには、発表されるんだろうから。
 ウチの人事異動は、先に上司に通達が来て、本人に辞令が下りる。
 その間に情報が洩れまくるのは、言わば、いつもの事だ。
 経理部には、ほとんど縁が無いが。
「――……今日、住吉さんが工場まで来て、辞令渡されたわ」
『……そう、か』
「たぶん、明日以降、何か説明があるんじゃないの」
 すると、少しの間。
 そして、気まずそうに、早川は続けた。

『……悪い』

「え?」

『――……めちゃくちゃ、うれしい』

「……え」

 いつもよりも、小さな声。
 けれど、あたしの耳にはしっかりと届く。
『いや、お前には悪いけど――……まだ、しばらく会えないと思ってたから……』
「……別に……仕事で行くんだし」
 あたしは、うずいてしまう胸を押さえる。
 コイツは、開き直ってから、ストレートすぎる。
『でも、一か月はいるんだろ?その間、休みにも会いに行ける』
「――……休みなさいよ、営業、大変でしょ。それに、アンタも指導にあたるんじゃないの?」
 あの社長の事だ。
 早川だって、そこまで見越して出向させたような気がする。
『ああ、まあ……新人が何人かこっち来るらしいし。正社員募集もかけるみたいだからなぁ』
「本格的に、そっちから離れられないんじゃないの?」
 すると、早川は苦々しく言う。
『あのなぁ……。――ああ、でも、お前もこっちにいるんなら、いてもいいか』
「やめてよね」
 苦笑いが浮かぶ。
 完全に笑い話にできない。
 今までも、そういうパターンはあったから。
『でも――チャンスは、逃さねぇからな』
「え」
『……覚悟、しておけよ、茉奈』
「――……バカ言ってないの」
 あたしは、目を伏せる。
 ――ちゃんと考える。
 そう言ったからには、軽々しい事は、もうできない。
 真剣に向き合わないとなのだから。

『――じゃあな。……こっち来たら、デートしてくれよ』

「バッ……!何、言ってっ……!」

 あたしが固まりかけると同時に、笑い声とともに、通話は終了。
 思わず、持っていたスマホをにらんでしまった。
< 257 / 382 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop