Runaway Love
 午後からも、同じように仕事を進め、定時には小川さんを帰した。
 主婦である以上、他にもやらなきゃいけない事は山だろう。
 あたしも、三十分ほど残り、仕事を終えた。
 ロッカールームで靴を履き替えると、バッグを持ち、中からスマホを取り出す。

 ――終わりましたか?

 野口くんのメッセージは、今から二十分程前だ。
 あたしは、終わった、と、返すと、すぐにメッセージが届いた。

 ――今、途中のコンビニで時間つぶしてました。すぐに向かいますね。

 少しだけ申し訳無く思うが、了承する。
 強く拒否する理由も見つからない。
 ――それに、断った後の彼も心配だし。

 あたしは、門のところでスマホを見ながら、五分程待つと、既に見慣れてしまった野口くんの車が見えた。
 小さく右手を上げると、いつもの場所に車は停まる。
 そして、降りてきた彼を見上げると、微笑んで返された。

「お疲れ様です――茉奈さん」

 夕日が反射して、彼のキレイな顔が浮かび上がる。
 まるで、雑誌の撮影のよう。

「茉奈さん?」

「えっ、あ、お、お疲れ様」

 野口くんは、少しだけ眉を寄せる。
「疲れてます?すぐに帰りましょうか」
「え、あ、ええ……」
 今までなら、何かしら理由をつけて一緒にいたがったのに。
 あたしは、車に乗せられると、運転席に座った彼を見やる。
「――どうかしましたか?」
「えっと……。か、帰って、良い、の?」
 すると、野口くんは、ハンドルに顔を伏せた。
「か、駆くん?」
「――ホント、無意識にも程がありますよ。茉奈さん」
「え?」
 彼は、そのまま、そのキレイな顔をあたしに向ける。
「――あなたの意思を尊重したくて言ったんですけど。……正直言えば、結構、我慢してるんですよね、オレ」
「――……っ……ごっ、ごめんなさいっ!ありがとう!」
 慌てるあたしを、野口くんは、苦笑いで見やる。
「……わかってるって言いましたよね。あせらないでくださいよ。別に、お持ち帰りするつもりは無いですから」
「駆くんっ……!」
 どこまでが本気かわからないが、彼は笑って車を出してくれた。


 今日は、本当にアパートに直帰してくれた野口くんは、ドアを開けると、あたしに言った。

「じゃあ、茉奈さん、明後日予定していてくださいね」

 一瞬、何の事かと悩んだが、図書館の本の返却日だと気づく。
 あたしは、うなづくと、彼を見上げた。

「ええ。――でも、今回は、返すだけだから、そんなに時間かからないと思うけど……」

「本当に?」

「……い、一時間くらいだったら……」

 図書館に行って、何も見ずに帰るなんて、あたし達には無理な事だろう。
 それをわかっているので、野口くんは、苦笑いしながらうなづいた。
「ですよね。――でも、時間大丈夫ですか?引っ越しの手伝い、必要なら行きますが」
「大丈夫よ。今日、住吉さんからメールで、マンスリーのマンション、会社で借り上げているって連絡あったから。あたしは、最低限の服と身の回りの物くらいで行けるわ」
 大阪支社になるにあたって、あたし以外にも、向こうに行く人間は多数いる。
 本格的に大阪にいるのか、臨時で出向になるのかはわからないが、ひとまず、住むところに困るような事は無いらしい。
「大体、三十日まで工場で、そのまま月締めまで教えて、三十一日に本社戻って異動の準備、九月一日に、大阪って――何を準備させる気よ」
「……改めて聞くと、超ハードスケジュールですよね……」
「でしょう?支社の建物は、支店からそんなに離れてない場所だって書いてあったけど……そもそも、あたしは大阪に行った事が無いのよ」
「オレもですよ。結構、遠いですよね……」
 その声音が、少し硬かったので、あたしは慌てて野口くんを見やる。
「か、駆くん」
「――大丈夫、とは言えませんが……頑張りますから」
 無理に作った笑顔を、街灯が照らす。
 あたしも、同じように作った笑顔で返した。
「――そう。……あたしも、頑張るからさ」
「……ハイ。……じゃあ、帰ります。おやすみなさい」
 野口くんは、うなづくと、そのまま車に乗り込んだ。
 あたしは助手席の窓越しから、彼の様子をうかがうと、苦笑いで返された。
 ――余計な心配はするな、って、事かしら。
 それにうなづいて返すと、あたしは、アパートの階段を上る。
 部屋に着いたタイミングで、車が発進する音が聞こえて振り返ると、野口くんの車が国道の方に向かうところだった。

 ――……うん。……頑張る、からさ。

 仕事も、プライベートも――今が、正念場なのかもしれない。

 そう、思った。
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