Runaway Love
「ありがと、助かったわ」
 あたしは、部屋の鍵を開けて中をのぞき込み、後ろにいた早川を振り返った。
 スーツケースを受け取ると、玄関で靴を脱ぐ。
「何か、手伝いいるか」
「――大丈夫よ。……ホント、ひと通り揃ってるのね」
 見渡せば、ワンルームに家具家電がきちんと並んでいる。
「ああ。冷蔵庫とか、すぐに使えるようになってるし、風呂も入れるぞ」
「そう、ありがと。――じゃあ……」
 おやすみ、と、言う前に、早川は中に入り玄関のドアを閉めると、あたしを抱きしめた。
「早川?」
「――……会いたかった」
 その言葉に、心臓が鳴る。
 プロポーズされている事実は、見ないようにしていたのに。
 でも――もう、以前(まえ)のように、逃げ回るのはやめると決めたのだ。
 あたしは、うつむき加減になったまま、口を開く。

「……あ、あのさ……」

「ああ」

 ぎこちなく続く言葉に、早川は、ただ返す。
 事実を告げるだけ。
 なのに――心臓が握りつぶされるかと思う程の緊張感。
 あたしは、震える声を、振り絞る。

「――……あ……あた……し……。……のっ……野口くんと……わ、別れた……の……」

「――……え」

 距離を置く、と、早川にも伝えていたのだから、可能性はよぎったはずだ。
 だが、本人が直接言葉にするのは、また違うようで。
「……それは……お互い、納得してるのか……?」
 さすがに動揺したのか、早川は、途切れ途切れに言葉を出す。
 あたしは、少し考え、首を振った。
「……事情が、少し違うっていうか……」
 野口くんとは、また、最初から始めるという約束だ。
 けれど、それだけを伝えても、早川には理解できない。
 大きく息を吐く。
 少しは冷静になれ、あたしは顔を上げた。

「――……ホントは、さ。……ウワサのせいで、あたしが会社辞めそうだから、野口くんが、偽装の恋人になるって、提案したの」

 本当の事を伝えなければ――彼の意思も伝わらない。
 あたしは、半ばあきらめ、事情を簡単に話した。


「……ンだよ、そりゃ……」

 聞き終えると、開口一番、早川はふてくされながら、そう言った。
「……ごめん。……でも、本当の恋人には、なったの」
「お前が迷ったままなら――どれだけ言ったって、本物じゃない」
「――……ええ。……本当に……そう、よね……」
 早川の正論に、目を伏せる。
 浮かんできた涙に気づいたのか、早川は、抱いていた腕に力を込め、あたしを更に引き寄せた。

「……何で……俺に言わなかった」

「――……迷惑かけたくなかったからに、決まってるじゃない。……アンタは、当事者よ」

「それでも!……惚れた女に、後悔させるようなマネ――俺は絶対しない」

 その言葉に、苦笑いが浮かぶ。
 ――ホントに……コイツは……。
 あたしは、ポツリとつぶやいた。

「……アンタが好きになった女性(ひと)は、幸せよね」

「……何だよ、そりゃ」

 不服そうな声音で、早川はそう言ってあたしを離す。
他人事(ひとごと)みたいに言うな」
「――……だって……」

 早川を知れば知る程――あたしには、もったいないのだと、改めて思わされる。

 最初は苦手どころか、大嫌いだったけれど――悪いヤツじゃないのは、わかっていた。
 気持ちを知ってからも、あたしに対して、誠実であろうとしているのは――正直、好ましい時もあったし、その真っ直ぐすぎる言葉に、イラついた事もあった。

 でも――同時に、その真っ直ぐな想いに、応えられない自分が嫌になるのだ。

「茉奈」
 呼ばれて顔を上げようとすれば、両手で包み込まれた。

「――……言っとくがな、俺は、お前が初恋だぞ」

「……え」

 言葉の意味を考える間もなく、唇が重ねられ、すぐに離される。
「え、え、ちょっ……」
 その衝撃に、放心状態になりそうだ。

「――ウ、ウソでしょ……?!」

「ウソじゃねぇよ。――本気で惚れたのは、お前が初めてだ」

「――……早川」

「そういう意味じゃ、俺も野口も、同じだな」
 そう言いながら、早川はあたしの髪を撫でる。

「――……お前、自分で思ってるより、ずっと、良い女だからな」
 
 目を丸くしたあたしを見て、早川は、何だか吹っ切れたように笑った。 
< 282 / 382 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop