Runaway Love
 いつもの時間に鳴るはずの目覚まし時計は、沈黙していた。
 あたしは、ガバリ、と、身体を起こす。

 ――……八時!!

 ――もしかして、無意識に、アラーム止めていた……⁉

 青くなりながらも、バタバタと支度を始める。
 朝食は食べている余裕は無い。
 そう思ったところで、昨日、岡くんが置いて行ってくれた袋が目に入る。
 のぞき込めば、ゼリー飲料も入っていた。
 自分のストックを出すのも面倒で、それを一つ、ありがたく頂く事にする。
 いつもの服。いつものメイク。
 就業開始時間は九時だけど、会社までは歩いて十分、経理部の部屋まで行くのに、更に五分はかかる。
 今日はゴミの日だから、それも、まとめないといけないし。
 ようやく、アパートから出られたのは、八時半過ぎだった。
 あたしは、ダッシュで会社へと向かう。
 壊れた靴を買い替える余裕も無く、また、奈津美からもらったパンプスを履いた。
 靴擦れは、どうにか、走る事に影響は無かったようだ。
 時折、止まりながらも、猛ダッシュで到着し、経理部の部屋に到着したのは八時五十分。

「あ、おはようございます、杉崎主任!」

「お、おは、よう。……外山……さん……」

 部屋のドアを開けると、いつものように、外山さんが挨拶をしてきた。
 あたしは、息切れしながらも、それに返す。
「だ、大丈夫ですか?まだ、具合悪いですか?」
 心配そうに、あたしに尋ねる外山さんに、苦笑いで首を振る。
「……大丈夫……。……久々に走ったら、息切れがヒドいだけよ……」
 こんなところに年齢を感じたくはないが、仕方ない。
 あたしは、貴重品だけを入れたバッグを机に置くと、既に仕事を始めていた部長の所に行く。
「おはようございます。遅くなりました」
「おはよう。具合は大丈夫かい?」
「はい。週末で、どうにか落ち着きました」
 そして、席に着くと、引き継ぎ前に自分の仕事を始める。
 大野さんの仕事は、それを終わらせてからでないと、集中できない。
 あたしは、外山さんへの引き継ぎと同時進行で片付けると、大野さんの所へ行く。
「あらかた片付いたか?」
「はい」
 あたしがうなづくと、大野さんはファイリングされた書類の山を取り出した。
「まずは、コレ、各工場からと支店からの伝票。処理ミスのチェック頼む」
「わかりました」
 受け取ったファイルは、まあまあの重さで、一瞬よろけそうになるが耐える。
 自分の席に戻ると、伝票に目を通しながら、チェックを入れていく。
 それだけでも、いつもの業務とは違うので、消耗してしまった。
 あたしが終わりそうになると、大野さんは次の作業を指示してくる。
 その繰り返しだ。
 プレッシャーを与えない、ギリギリのタイミングに感心してしまう。
 お昼にのベルが鳴るまで、あたしは、大野さんの仕事をどうにか覚えようと頑張った。

 部長は、社長との打ち合わせに向かったので、四人で社食に向かう。
 今日もまた、お弁当は作り損ねた。
「杉崎主任、お昼、何にしますー?」
 外山さんが、ウキウキしながら、あたしに尋ねるので、苦笑いが浮かぶ。
「楽しそうね、外山さん」
「えー、だって、日替わりとか、楽しみじゃないですかー!デザート、何かなー、とか」
 ニコニコしながら言う外山さんにつられ、思わず口元が上がる。
 ともすれば、殺伐としてしまうような経理に、珍しい癒し系だ。
「――そうね、まあ、たまにはだけど」
「杉崎は弁当派だったな」
 隣で話を聞いていたようで、大野さんがあたしに言った。
「はい。まあ、節約ってのもありますが」
「しっかりしてるな」
「――習慣です」
 あたしは、思わずそっけなく返してしまい、心の中で苦った。
 大野さんは気にする風でも無かったのが、幸いだ。

 ――昔、父さんが死んだ当初、どうにか生活しなければならない、と、できる限りの節約をしていた習慣が抜けきれないのだ。

 そして、エレベーターが到着し、全員で社食に入る。
 すると、チラチラと向けられる視線。
 ――先週からなのは、気づいていたが――先週よりも、野次馬的に見られているような気がしてならない。
 あたしは、一歩だけ後ろに下がる。
 すると、背中に当たる感触。
「――あ、ご、ごめんなさい」
 見上げれば、野口くんが、微動だにせず立っていた。
「いえ――」
 何だか嫌な予感がする。
 ――からまれないうちに、逃げるか。
 あたしは、踵を返す。
「あれ、杉崎主任ー?」
「ごめんなさい。――やっぱり、今日はやめておくわ」
 不思議そうに振り返った外山さんに、そう告げると、あたしはエレベーターまで逆戻りした。
 そして、すぐに開いた箱の中に飛び込むように入り、扉を閉める。
 すると、すんでのところで手が伸びてきて、止められた。
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