ミューズな彼女は俺様医師に甘く奏でられる
 奏者の生命線にメスをいれる事に抵抗が無いはずがない。散々悩み、苦しみ覚悟を決めた。それなのに肝心の執刀医が見付からないなんて。

 気付くと膝の上のコーヒーは冷めていた。朝食といっても飲み物だけで済ませ、食事を疎かにしている自覚はある。精神的なプレッシャーから食欲がわいてこず、咀嚼さえ億劫に感じてしまう。

 通勤通学の時間帯が過ぎ、小鳥達のさえずりが聞こえる。天然のメロディーに耳を傾け、目を閉じた。

「何よ! そんな話をする為にわざわざ呼び出したの? バカにしないで、もうアンタの事なんてなんとも思ってないんだから! 仕事が忙しい、忙しいとか言うから差し入れしてあげたのに!」

 私は耳がいい。少し離れた場所での不協和音を拾う。

「いや、だから職場へ押し掛けてきたり、恋人の振りをするのは止めてくれと言ってるんだ。君の気持ちは受け取れないと応えたはずだ」

「だって恋人はいない、好きな人もいないって言ったじゃない! 振り向いて貰えるように頑張るのがいけない?」

「それはーー」

 別れ話かと思いきや、そもそも会話が噛み合っていない。どちらの言い分が正しいか判断はつけられないが、女性の泣き出しそうな声に堪えられず移動しようとした時だった。

 ーーバチンッ! 頬を打ったであろう乾いた音が響き渡る。

 女性が目の前を物凄い勢いで走り抜けていくので、思わず男性の安否を確認した。

「あの、大丈夫ですか?」

こんなところで犯罪に巻き込まれたくない。と言って見過ごせば見過ごしたで面倒になる。

「あ、あぁ、すまない」

 尻餅をつく男性へ手を差し伸べかけ、慌てて引っ込めた。腕に掛かる負担を考慮したのもあるがーーなにせ私は耳がいい。

 その人が顔を上げなくとも真田慎太郎であると分かった。
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