かりそめ婚のはずなのに、旦那様が甘すぎて困ります ~せっかちな社長は、最短ルートで最愛を囲う~
「それで、由井社長との同棲は順調なのか?」

 望晴が閉店準備をしていると、店長の啓介が聞いてきた。
 拓斗の部屋に居候してから二週間ほど経つ。

「同棲じゃなくて、同居です! おかげさまで、なにごともありませんよ。顔を合わす時間も少ないですし」

 はじめに拓斗が言った通り、彼は平日はほとんど家にいないし、土日は望晴が仕事で、休みも重ならないので、朝以外やり取りはほとんどない。
 拓斗は初日は九時に帰ってきたものの、その後は十一時すぎだったり、深夜を回ったりと遅かった。
 それでも彼は自分で食事を温めて、いつも残さず食べてくれた。

(あんなに遅くに夕食をとるほうが身体に悪そうだけど……)

 朝食をとりながら、食事の量や味つけなどの感想を聞いてみるが、「ちょうどいい」という言葉しかもらえない。
 せめて栄養があって、消化に良いものを心がけることにした。
 食べることが好きな望晴は、料理も好きだったので、作ることにストレスはなかった。

(本当にルームシェアをしているだけみたいね)

 家事以外には、拓斗が休みの日の服のコーディネートをした。
 せっかく棚に整理して服を並べたのだが、望晴が選んでくれるならそれに越したことはないと任せられたのだ。
 それ自体はいいのだが、毎回彼の寝室に入るのがドキドキする。 
 それでも、順調なのには変わりなかった。
 啓介は笑顔でうなずく。

「それはよかったな。最初に聞いたときには驚いたよ。でも、そこまで回復したなら、もう安心だな」
「自分でも不思議です。今のところ、なんのストレスもなくて」

 心配してくれる啓介に、望晴は笑みを向けた。
 言われたように、異性と普通に生活できるようにまでなった自分を喜ばしく思う。

「いっそ、そのまま結婚してしまえばいいじゃないか」
「だから、由井さんとはそういう関係じゃないんです!」

 からかう啓介に、望晴はきっぱり否定した。
 彼との関係を勘ぐられるのは拓斗に申し訳ないと思ったからだ。
 家探しをしたいのだが、審査に時間がかかり、火災保険が下りるのは少し先になるということで、しばらく拓斗のところに身を寄せることになっている。
 保険金が出る前に、引っ越しするのはきつかったから、拓斗の好意には感謝しかない。
 一見クールな印象の彼はとんでもなく面倒見がいいようだ。
 本人は気になっていることを放置するのは気持ちが悪いと言っていたが、そう感じること自体、人がいいのだと思う。
 それなのに、望晴のせいで、拓斗に不利益が生じるのは嫌だった。
 やたらと望晴を拓斗とくっつけようとしてくる啓介は、彼なりに彼女の将来を案じているのだろうが。

「でも、あんなセキュリティばっちりのところに住んでいたら、もうストーカーに狙われても大丈夫だな」
「やめてくださいよ、縁起でもない」

 望晴は顔をしかめた。
 大学を中退せざるを得なくなったストーカーのことを思い出してしまった。

 彼女は大学の同級生につきまとわれ、ゴミを漁られたり、盗撮された写真が送られてきたりした結果、不安障害になってしまったのだ。
 家を出ようとすると、息ができなくなったり、吐いたりする。
 学校に通えないどころか、男性まで怖くなってしまった。特に、ストーカーのように若い男性に対しては、恐怖心から声が出なくなった。
 家から出られなくなって、泣きながら親に電話して、迎えにきてもらった。
 実家に戻り、大学を中退して下宿を引き払ったのだ。
 スマートフォンも解約して、大学の知り合いと音信を絶った。ストーカーを遮断するために。
 母親が警察に相談して、警察からストーカーに警告を与えてくれたらしいが、その後のことは望晴に気持ちの余裕がなくて聞いていない。
 警察の警告が効いたのか、距離が離れていたためか、実家のほうまではストーカーは現れず、ようやく彼から逃れられたと安心できた。

 今思えば、そこまでになる前に警察に相談すればよかったが、子どもだった望晴にとってそれはハードルが高かった。
 心理カウンセリングを受けるうちに、望晴は日常生活に支障がないくらい回復した。一年かかった。
 そんなときだ。
 彼女の事情を知っていた従兄の啓介が、東京にお店を出すから、そこで働いてみないかと声をかけてくれたのは。

『民度が高いところだから、変な客もめったにいないし、望晴のリハビリにもなるんじゃないかな』

 実家よりさらにストーカーのいる場所から遠く離れた東京なら安心できると思った。
 それに、大学を中退してしまった手前、自分で生計を立てたかったこともあり、望晴はそれを受けたのだ。
 結果は大正解で、望晴はめきめきと元気になり、本来の調子を取り戻した。
 それでも、男性恐怖症は完全には治っていなかったが。

「悪い悪い。もうあんなことはそうそうないだろう」

 暗い顔になった望晴を見て、啓介が謝った。
 
「そうですよね」

 嫌な記憶を振り払うように、望晴はかぶりを振った。

 







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