曇りのち晴れ、SWAN航空幸せ行き〜奥様はエリートパイロットともう一度愛しあう〜

ベリが丘で飲み会(2)

 真っ白になった二人を囲んでまずは乾杯。

「では自己紹介! 主催者の俺からね!」

 ライネ機長は日本語お上手だなと、希空はこっそり思った。
 自分よりも、ぺらぺらな気がする。

「僕はミカ・ライネ。日本だとミカって女性の名前だよね? でもフィンランド語だと、男性の名前でーす。有名どころだとF1ドライバーやスキージャンプの選手なんかもいまーす」
 
 引き換え、日本人機長は。

「一柳 理人です。本日SW一九〇〇及びSW一一九三のPMを務めました」

 希空は目を瞠った。
 この人が凄腕のパイロットで、プッシュする希空の前でチェックをしていた機長だったのか。
 ……リーダーも噛みながら挨拶し、希空の番になった。

「本日、SW一一九三のトーイングカーを担当しました、雲晴希空と申します」 

 彼女が名乗った途端、阿鼻叫喚となった。
 一柳機長などは立ち上がってしまっている。
 なにごと? 希空は思いっきり怯えた。

「え、あの神プッシュの?」
「まじか。女性だったのか!」

 ショックという顔に、希空の表情が沈んだ。

「希空。女性蔑視じゃないよ、大丈夫」

 ライネ機長がすかさずフォローしてくれて、皆があ、という顔になった。

「実は俺達パイロットは、君のことを数年前から注目していたんだ」 

 一柳機長も言葉を添えてくれる。

「素晴らしい技術の持ち主だから」

 まさか、パイロットから面と向かって褒められるなんて、思ってもみなかった。

「ありがとうございます」

 礼を言えば、一柳が笑ってくれた。
 整った顔がくしゃりとなって、希空は見惚れる。
 一柳が真顔になる。

「俺は君のことを男性だとばかり思い込んでいた、申し訳ない」

 なんと一柳は立ち上がって、希空に向かって深々と頭を下げてきた。
 整備士達も一斉に彼の動きに倣う。

 希空がオロオロしていると、ライネがウインクをしてきた。

「パイロット達は君のことを饒速日命(にぎはやひのみこと)かと思ってる。まさか、『空の女神』だったとはね」

 整備士達も希空に口々に声をかけてくれる。

「丁寧かつ振動を与えないステアリング! もしかしたらスタントもされてます?」

「今日も最高でした!」

 ……彼らの反応から察するに。
『女だから生意気』とかではなく、『圧倒的に男性しかいないから、女性だと思ってもみなかった』ということらしい。
 希空はほっとする。

 ……なぜか一柳が希空をじっと見ている。いたたまれない希空は、とりあえず質問をした。

「あの、なんとかのミコトって?」 
「どうしてフィンランド人のお前のほうが詳しいかな」

 一柳が不機嫌になったとわかる声でつぶやく。
 希空が固まったのを、ライネに気づかれたらしい。

「理人、顔が怖いよ。希空が怖がってる」

 注意してくれたので、一柳が表情を和らげてくれた。

「ニギハヤヒノミコトは空の神さまなんだ」

 一柳の説明で理解した希空の、頬にだんだん血が登っていく。

「大袈裟です」
「じゃない」

 真剣な一柳の声に、目を伏せ気味だった希空は顔を上げた。
 彼の真摯な眼差しに吸い込まれそうになる。

「君にプッシュしてもらうと、アライバル(到着地)の天気が晴れていることが多いんだ」  

 一柳がぼそりと告げた言葉は聞き取りづらかった。
 希空が聴き返す前に、ライネが割り込んできた。

「グラハンメンバーに希空の名前があるだけで、気分がアガるんだ。だって『I hope the cloudy sky clears up(曇り空が晴れますように)」なんて、パイロットのための名前だからね!」

 男性、それもパイロットから呼び捨てされて、希空は目を白黒させる。
 しかもライネ機長は笑顔でのたまった。

「希空。俺のことは『ミカ』って呼んで。一柳のことも『理人』って呼んじゃっていいからね」

「いやいやいや。高嶺の花の方達をそんな名前でなんて」

 彼らのファンに聞かれでもしたら、恐ろしいことになるだろう。
 ……『男には七人の敵がいる』と聞いたことがあるが、女には男の敵プラス、同じ数の女の敵も存在しているのだから。

「だーめ! これは機長命令だよ」

 爽やかに命じられたが、受けるわけにはいかない。

「無理です! 庶民が王様を呼び捨てにするようなものですっ。一柳さんにも失礼です!」

「ミカのいう通りで構わない」 

 一柳にも同意されてしまった。
 
「……わかりました」

 希空は覚悟を決めた。
 アルコールは供されていないが、これは『酒の上の無礼講』というやつだ。
 この場だけ受け入れ(次回などあるわけはないが)次があったら、自分が礼節を忘れなければいい。

「メンバーを代表して聞いてみよう。ねえ、希空?」

「はいっ」

 ミカに呼びかけられて、彼女は勢いよく返事をした。

「いいお返事。希空は空は好き? パイロットや気象予報士は目指さないの?」 

 誰だかが機長ナイス! と合いの手を入れる。

 希空はかすかに苦笑する。
 この名前を言った途端、同じ質問を子供の頃から何十回となくされていた。

しかも父は気象予報士で、姉も飛行機を飛ばす仕事に就いた。
……だからパイロットコースなり気象大学校なり、希空が本気で学びたいといえば家族は賛成してくれただろう。 だが、希空にはなによりもなりたい仕事があった。

「子供の頃。飛行機に乗ったときに窓から眺めたら滑走路でマーシャルが手を振ってくれてました」

 今もお見送りをしている。

「自分も、あんなに近くで飛行機を見送りたいと思ったんです」

 あんな近くで空に飛び立つ機体を眺められたら。

「TVで、トーイングカーやマーシャルのドキュメンタリーを見ました」

『こんな仕事もあるんだ』と発奮した彼女は、幼い頃の想いを叶えるべくグランドハンドリングを目指した。

「雲晴さんがプッシュした機体は、損傷が少ないんだよ!」

 整備班の誰かが言い出すと、そうだそうだと賛同してくれる。

「皆さんが大事に整備されている機体を損なうことはできませんし」

 希空が照れながらも誇らしげに返事をすると、さらに整備班は舞い上がった。

 ……そんな彼女を不機嫌に眺めていた理人を、さらにミカとリーダーが面白そうに観察していたのだが、希空は気づかなかった。 
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