憧れと結婚〜田舎令嬢エマの幸福な事情〜

11、過ぎた彼の声

 最初の訪問から日を置かず、ウェリントン領地のバート氏から招待を受けた。

 小さな晩餐の会で、エマたちは家族揃って出かけた。アーネスト教誨師夫妻も呼ばれていて、地域の話題が尽きない和やかな時間になった。

 ただ、ちょっと気まずい瞬間があった。バート氏の姪のエヴィの母親の件だ。軍務に就いている父親に代わリ伯父の元で養育されていることから、誰もが母親が亡くなっていることを想定していた。 

「弟さんもご安心でしょうね。亡き奥様に代わって、お兄様がしっかりとエヴィちゃんを見て下さるのだもの」

 教誨師夫人のベルが発した言葉に、皆が頷いた。

 しかし、バート氏が妙な様子を見せた。話を否定はしないが、返事に困り思案するようでもある。

 エマもひっそり隣のダイアナと目を合わせたほどだ。

 家族内の問題が絡むようでもあり、踏み込めない。ベルはすぐに知事が催す舞踏会のニュースを持ち出し、その話題を消し去った。

「令嬢にせがまれて渋々というのが実情らしいですよ。ちょうど知事邸に、子息の友人たちが滞在しているから」

 ダイアナの視線を頬に感じた。彼らの中にレオがいなくても、消息は聞けるのではないか。姉はそう言いたいのだろう。

(聞いて、今更どうするの?)

 投げやりに心で呟いた。レオにとって自分は、もうとうに過去の彼方にある影に過ぎない。意味も価値もない。

 たまに開かれる舞踏会に、これまでは心が躍った。単純に踊ることも楽しかったし、雰囲気も楽しめた。その日が待ち遠しく思った。

 けれど、今は何も感じない。むしろ、そんな場が億劫に思うほどだ。どこかで入るスイッチで、オリヴィアの嫌味に晒されるくらいなら、家で留守番をしていたい。


 舞踏会の噂が広まり、出かけた先々でそのことが話題に上った。

 バート氏の姪のエヴィを誘い、姉妹はアシェルも連れ、散策に出かけた。牧場をのぞけば、都会っ子で牛が珍しいエヴィが喜んだ。

「小川に行こうよ。エヴィに水車を見せる」

 アシェルがダイアナの手を引いた。

「いいわよ」

 遅れてついて行きながら、エマは胸が痛んだ。向かう小川は、レオを追いかけて走った思い出の場所だ。不用意な発言で彼を怒らせ、去った彼の後を無我夢中で追った。

 息も絶え絶えにたどり着いた彼女に、彼は優しかった。上着を敷いて休ませてくれた。そしてぬれたハンカチを頬に当てがってくれた。彼女の失言の意図を理解し、許してくれた。

 それらは失った今も彼女の中で輝く記憶だ。

(レオとのことは、全部そう)

 思うたびにまだ痛みが走る。けれど、捨て去る気持ちになはれなかった。

(気持ちを裏切られた。心を弄ばれた。確かにそうであっても、憎んだりは出来ない)

 自分が優しいのではない。と彼女は思う。

 おそらく、これほどのときめく恋をもう経験することはない。彼を責めて恨めば、一緒に過ごした思い出も忌まわしくなってしまう。

(それは嫌)

 エヴィに手を引かれ、彼女は顔を上げた。少女が指さす先に、男性の姿が見える。三人だ。その中の一人はキースで、こちらに気づき大きく手を振っている。

 退屈を持て余していたのだろう。早足で彼らが彼女たちに合流した。

「紹介するよ。大学時代の友人たちで、グレアムとケイシー。先週から邸に滞在しているんだ」

 若い紳士たちは慇懃に彼女たちに挨拶した。連れ立って小川へ向かう。

 キースの友人だから、二人とも裕福な名士の子息だ。立場と責任が許せば、友人の邸を訪ね合い、その土地土地の娯楽を楽しむ。

小川の涼しい風に当たり、他愛のない会話をつないだ。

「滞在中はよくお会いしたいな。ゲームの会をやろうと言っているのです。いかがですか?」

「わたしたち、賭けごとをしませんの」

 誘いの言葉に尻込みするダイアナに、キースも加わった。

「全然そういうのじゃないよ。ジェスチャーや連想ゲームのことを言っているんだ。大勢の方が楽しい。ぜひおいでよ」

 ダイアナはちらりとエマをうかがう。彼女がかすかに頷くのを待ってから了承した。

 翌日は、約束の時間にキースが馬車で迎えに来た。二人乗りだが、細身の女性二人で、取立て窮屈でもない。

 キースの幼なじみたちや見知った若い女性も何人もいて、賑やかな会になった。ゲームもそこそこに近くに開く舞踏会の話で盛り上がり、趣向や曲目など意見が交わされた。

「最初に僕と踊って欲しい。頼むよ」

 キースに口説かれ、ダイアナが戸惑いながら了承するのが見えた。

「舞踏会の日も迎えに行くよ。君たちが歩かなくていいように」

「それはどうかしら。わたしたちだけ特別扱いは、よくないのじゃないかしら」

「何を言うんだ。昔から知っているし、君たちは特別だよ。オリヴィアだって、君たちのことは大好きだよ」

 熱心に言葉を重ねるキースの仕草や振る舞いは、思いを告白しているのと同義だ。対して、ダイアナは薄い笑みは浮かべているが、エマの目にはっきりと腰が引けているのがわかる。

「あなたの馬車に乗りたい女性は他にたくさんいるはずよ。わたしたち、舞踏会にお邪魔する時は、きっと親戚の馬車に便乗させてもらうわ。ご親切をどうもありがとう」

 ダイアナは微笑んで申し出を断った。

 のち、エマの所へ来た。ほっと息を小さく吐く。

「見ていたでしょ。ごめんなさい。キースの馬車を断ったから、舞踏会の夜は叔母様のところまで歩くことになるわ」

「ううん」

 姉は過剰な親切を受けず、どっちとも取れる曖昧な態度は避けた。残されたキースは一人、困った風に首に手をやっている。

(ダイアナは正しい。彼の思いを受け入れないのなら、距離を置かないと。誤解させて、厚意だけを受け取るのは卑怯だもの)

 そこへ、キースの友人のグレアムが加わった。

「明日はオリヴィアの発案で湖畔へピクニックだそうです。お二人は?」

 エマも姉も誘われていない。行きたい訳でもないから、相変わらずの仲間外れも気にならなかった。

 ダイアナが首を振り、答えた。

「針仕事がたくさんあるんです。それをこなしてしまわないと」

「そういうことは、メイドに頼むのではないのですか?」

「教誨師館からの奉仕の仕事なの。メイドに頼んで済むものではないのです」

「オリヴィアはそんなこと一言も。暇を持て余していると言ったのに」

 グレアムは意外そうに呟いた。

 奉仕の負担をしない者たちの分は、エマたち他の協力者で更に割り振られる。教誨師夫人のベルも善意の強制はしないからだ。

「そうか、残念だな。君たちが参加しないのか」

「わたしたちは、いつもオリヴィアの催しに加わる訳ではないの」

「そうなのですか? キースは君たち姉妹がオリヴィアの大親友だと言っているのに」

 グレアムの言葉に、エマがたまらず吹き出した。ダイアナも苦笑している。妹が彼女に散々嫌味を言うその場に、キースもよく居合わせた。それをどう感じたのか。

(大親友だなんて) 

 男性は女性同士の皮肉や当て擦りに気づかない。一緒にいて微笑み合っていれば、仲良しと思うのも道理だろう。

 しかし、と彼女は思い直す。

 そんな場面の彼女をレオが気づき、助けてくれたのも一度だけではなかった。

(男性だから気づかない、のではないわ)

 過ぎった記憶が切なさを呼ぶ。俯いて、何となく胸に手を当てた。

「お二人には小さな弟さんがいるのでは?」

「ええ。八歳の弟がいます」

 意外な問いに、エマは姉と顔を見合わせた。なぜ、ここでアシェルのことが出てくるのか。姉妹とは歳の離れた弟のことを誰かが噂でもしたのか。

「三月前かな、僕の友人がボウマン邸滞在中に送ってきた手紙に書いてあったのです。こちらの滞在が非常に愉快だと。小さな友達が出来たことや、その姉なる女性が控えめで清楚だと惚気てあった」

 彼の声を聞きながら、自分でも狼狽えるのがわかる。胸の手をぎゅっと握った。

「君たちのどちらかでしょう。教えてくれませんか?」

 エマはグレアムの視線を避け、姉を見た。ダイアナも彼女を見ていた。

「わたしではないわ。妹のエマでしょう。以前優しい紳士が、弟のアシェルに乗馬を教えて下さったと聞いたわ」

「やはり。レオは内が淑やかな女性を好む」

 と、オリヴィアをちらりと見やった。いつもの取り巻きたちと高い声ではしゃいで話している。

「お祖母様っ子だから、あれで古風なんです」

 友人の手紙にあった女性を突き止め、彼は嬉しそうに笑った。

 問いたいことは、エマに代わってダイアナが聞いてくれた。

「お元気でいらっしゃるのかしら? わたしはお会いしていないのだけれど、母も懐かしく思っています」

「しばらく便りがないが、元気でしょう。以前キースに連絡があったらしい。その時は、所用で王都に滞在していたらしいです」

「こちらがお気に入りなら、またいらっしゃるといいわ」

「僕も手紙を読んで、あいつがいると思って来たのに。もう帰ってしまっていた。残念ですよ」

「急なご出立の理由をご存知? ご家族の方にご病気などなければ、と妹も心配しているの。ね?」

 ダイアナがエマを見た。レオの友人に彼に関することを聞けるチャンスだ。せっかくの機会を無駄にしないで欲しいと、その目が伝えている。

(でも、何を聞いても事実は変わらないわ)

 彼女が質問をためらう間に、グレアムが言葉をつないだ。

「共通の仲間からもそう言ったことは聞かないから、家族の病気などはないと思う。邸内や領地の用か何かじゃないかな。急な来客でお祖母様に呼びつけられたのが、当たりだと思いますよ」

 と彼は言う。

「グレアム、来て下さらない?」

 大きな声でオリヴィアが呼び、彼は辞儀をして姉妹の前を離れた。
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