ハイスペミュージシャンは女神(ミューズ)を手放さない!

旅立ち

 あの別れから、もうそろそろ1年が経つ。

 あの日は少し曇っていて、今日と同じように肌寒いくらい気温だった。記憶の中の彼は今も全く色褪せなくて、毎日素敵なまま。あの日の私の細胞たちはもうターンオーバーしたはずなのに、子宮は確かに彼を覚えているらしい。雫は街で同じタバコの香りを感じるたび、背筋をぞくりと燃やした。

 あれからだいぶ心は落ち着いて、今はテレビで彼を見かけて泣くことも無い。またあの胸に抱かれたいとは思うけれど、距離を置いたことで嫉妬に焦がされることは無くなった。

 今はもう、こんなに魅力的で好きにならない人がいる方がおかしいという……半分、信者のような感覚。あの時熱弁していたカナの気持ちも、もっと深く理解できる気がする。

「雫ちゃん、東京出張んことなんやけど、ちょっとよか?」

 明日からは久しぶりに、祖母と2人で東京へ行く予定。来年以降の展示会に呼びたいと思っている作家さんの展示会を土日で巡る。

 最初は掃除だけだった雫も、展示会期間中に在廊する作家とのコミュニケーションやお手紙のやり取りで、だいぶ存在を覚えて貰えるようになった。会わずとも手紙のやり取りをしている人も多く、久しぶりの東京に緊張する気持ちよりも、どんな作品に会えるのか、どんな先生なのか、楽しみな感覚の方が強い。

「どうしたと?」
「じいじがね、少し腰が痛うて病院に行ったらヘルニア悪化してて、1週間安静にしとらんばいけんって」
「え! じゃあ飛行機はキャンセルして、またん機会にしようか」
「いや、そりゃつまらん(良くない)。作家さんにも迷惑かかるし、雫ちゃんだけで回ってきて欲しか。出来る?」
「良いけど‥…本当に大丈夫?」
「何年一緒におると思っとーと。ばぁばは元気やけん大丈夫!飛行機だけお願いしてもよか?」
「うーん、わかった! よかよ!」

 こういうことは時間を空けても仕方ないし、早ければ早いほど良い。まだ間に合う時間だからと、急いで航空会社へ電話した。

 前回の旅行代理店では散々な目にあったから、少し高くても都合によっては全額返金される方法をちゃんと探して予約した。搭乗予定者が祖母で、祖父の腰の事情でキャンセルをすると伝えると、今回の航空券は全額返金となった。

 そうだ。例え彼とは違うスピードでも、なんだかんだ私だって成長しているのだ。あの時の自分だって、よくよく見ればきっと自分のペースで歩いていたはず。ただそれに気付けばよかったのだ。あの日を後悔していることは間違い無いけれど、それを糧にできたこの1年は案外いいものだった。

 「もう歩みを止めない」と言っていた彼はその宣言通り、海外ツアーを成功させ、現在は凱旋として国立競技場ライブを行っている。また、バンドとしての活動だけではなく、個人名でもドラマのタイアップに映画主題歌など、華々しい活躍の知らせは、こんな田舎でも耳に入るほど。

 半年前に購入した雑誌のインタビューでは、多田と喧嘩をしたと書いてあった。自分のせいかもしれないと申し訳ない気持ちにもなったけれど、もう流石にそろそろ仲直りできただろうか。思い返すたび、懐かしく思う気持ちと、まだどこか近くにあるような気持ちがごちゃ混ぜになる。

 朝早い飛行機だから早く寝なくてはと思っているのに、今日はどうしても目を閉じると彼を思い出してしまって、なかなか寝付けない。こんな日は決まって、あの白いCDの音源で先頭の曲を、一番小さな音量で曲を流す。スマホの光を見ないように画面はベッドへ伏せて置いた。

 微かに聞こえる彼の甘い声とブレス。仮歌として録音されたままの適当な歌詞も、時折メンバーと話すも聞こえるこのCDは、今でも雫の宝物だ。指先で1音ずつ弾くようなギターの音に癒され、雫はその晩も静かに眠りについた。

 ◇◇◇

 初日は銀座にエリアを絞った。タブレットに入れたギャラリーリストと祖母の一言メモを見ながら作品を見て回る。キャリーバックいっぱいに長崎の名物を持って、朝から晩までギャラリー行脚だ。『新シリーズの色が気になる』とか、『お人形の表情を見てね』とか、祖母なりにその作家さんを評価しているポイントを知れたから、こういうのも悪くない。
 
 久しぶりの銀座は相変わらず品があって、背筋の伸びる思いがする。『私は大切に飼われている犬である』という矜持を持った雰囲気の純血犬が、ベビーカーのような乗り物で人を散歩させていたり、日本製ゲームの真似をしたカートが街中を駆けていく姿に驚くのも、久しぶり。

 久しぶりの銀座での夕食は何にしようと前々から楽しみにしていたのに、結局あまりに空腹で倒れそうなタイミングの出汁の香りに耐えきれず、立ち食いそばを食べて満足してしまった。ホテルへ着いた頃には足がパンパンで、最上階にある人工温泉をしっかりと満喫してその晩を終えた。

 翌日は六本木、表参道、時間があれば松濤まで行って、21時のフライトに間に合わせる計画。老舗ギャラリーが多く顔馴染みの作家が多い銀座とは違い、新進気鋭の作家揃い。作品も刺々しかったり、弾けた作風のものが多い。想像していたよりもずっと刺激的で、こちらも考えさせられることがあったり、思わず裏側まで眺めてしまったりと、面白いこともある。

 ただ、長崎のあの穏やかな空気のあるギャラリーにはイマイチ合っていない気がして、見学だけでその場を離れることが続いた。

 松濤のギャラリーへ続く一本道を歩くには勇気がもう少しだけ足らなくて、懐かしい百貨店の中を通ってみる。カウンターにいる人を見ても、知っている顔はいない。それでも思い出の場所は変わらずに全ての人を迎え入れていた。

「あの、すみません」
「こんにちは、ご来店ありがとうございます」
「こちらに松藤カナさんっていらっしゃいませんか?」
「ええと、どういったご用件でしょうか?」
「昔お世話になったので、もし今日いらっしゃるならご挨拶したくて」
「左様でございますか。申し訳ございません、松藤は……2ヶ月前に退職しております」
 
 あの頃の自分と同じ制服を着た女性に頭を下げられると、謝罪をしていた自分の姿に重なる。アポ無しできた自分が悪いから謝らないでと伝えて、ギャラリーの方へ向かう通路を歩いた。カナとはあの騒ぎの後、何度かメッセージのやり取りをした。けれど何度連絡しても結局何故話してくれなかったのかと問い詰められるばかりで疎遠になってしまった。

 大人になってからの友達作りは難しい。もう謝る機会もないまま、ゆっくりと記憶の中に消えていくしか無いのかもしれない。けれど、自分の対応次第で変わる未来があったなら、もう少し早く会いに来ていればよかったなと後悔をした。

 しない後悔とする後悔、どちらでも後悔するから行動した方がいいとよく聞くけれど、そんなのは所詮、結果論だ。別れの言葉を告げたことも、彼に時計を返したことも、雫は毎朝後悔している。IFの条件が重なり別の事象と繋がることなんて、滅多にない。別れを告げなければ、まだ付き合っていたかも……なんてゼロ以下の確率だろう。
 
 行動をするかしないかで後悔するのではなく、「その選択をしてよかったと考えよう」と思うようになったのは、ここ最近。祖父母と本音の会話ができるようになってからだ。祖父母のおかげで、雫は「自分が遠慮していたから、相手も遠慮していた」のだと気付けた。家族であっても言葉にするまで伝わらないことがこんなにもあるのだと感じたその日、雫はようやく本心からの感謝を伝えられた。

 
 色々考えている内に、あの日再会したカフェの前へ着く。彼がいるはずもないのにほんの少し緊張して、ほんの少し歩調が早まる。まるで知人の職場を素通りするときに似た照れ臭さ。

 この通りを曲がれば、あの日と同じギャラリーは目の前。祖母からのポイントには「質感が好き。見逃せない」と書かれている。写真か、絵画か、はたまたオブジェか……今日はあまり収穫がなかった分、素敵な作品に出会えることを期待して足取りを一層早めた。

 入り口でギャラリー名と個人名を記帳して入場する。渡された小さなパンフレットには――企画展「最愛」とだけ書かれていた。
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