夫に離婚を切り出したら、物語の主人公の継母になりました

13 愚妹

 世の中というのは不思議なもので、いいことがあると思ったら、悪いことが起こってしまう。
 神がお節介でバランスを取ろうとしているのかと疑いたくなる。
 ユーリに文字の読み書きにくわえ、新しく算数を教えている時のことだ。

「失礼いたします。奥様にお客様がいらっしゃいました」
「誰?」
「キャロライン様、と。奥様の妹君だと仰って……」
「キャロライン……」

 フリーデは軽い頭痛を覚えてしまう。

「フリーデ様、大丈夫ですか? 顔色が」

 ユーリが心配そうに顔を覗き込んでくる。
 フリーデは心配をかけまいと微笑んだ。

「大丈夫よ。ありがとう。ユーリ、しばらく一人で課題をしててくれる?」
「分かりました」

 フリーデは憂鬱な気持ちで部屋を出る。

「こちらでございます」
「でも応接間はあっちよ?」

 メイドは申し訳なさそうに眉をひそめた。

「それが……キャロライン様は、フリーデ様のお部屋でお待ちになると仰って」
「……通したの?」
「申し訳御座いませんっ。自分を粗末にすれば、フリーデ様が罰を与えるから覚悟しろと仰られ、その時に対応したメイドが……」

 話を聞いてるだけで、その時の光景がまざまざと思い浮かぶようだ。

 ――本当に呆れるわね。

 今朝まではとても幸せだったのに、こんな不意打ちを食らうなんて。
 キャロラインは、フリーデの異母妹。
 義母ゆずりの燃えるような赤い髪に、父親から受け継いだアメジストにも似た円らな瞳という天使のような可憐な見た目。

 人々は、侯爵家には歌姫がいるにもかかわらず、麗姫まで生まれるなんて、幸福な侯爵家だとそう噂しあった。
 しかし麗しいのは見た目だけ。中身はとんでもないわがままだ。
 両親が自分に甘いのを利用して母が使っていた宝石やドレスを自分のものにし、フリーデをいじめ抜いた諜報人。
 父親はそれを見て見ぬふりをし、フリーデが少しでも反抗しようものなら厳しく叱りつけ、外出禁止を言い渡した。

『どうしてお前はそうなんだ。お前は姉なんだぞ。どうして妹にそんなひどいことができるんだ。まったく歌姫と持ち上げられて、すっかりわがままになってしまったな!』

 ひどいこととは何のことだろう。
 亡母が誕生日にくれた大切なドレスを貸したくないという言うことが、そんなにひどいことなのだろうか。キャロラインは父が新しいドレスを仕立ててくれたのに。

 姉妹が揃って招待されたお茶会で、母の家に伝わる宝石をつけて出席しようとしていたのに、奪われたのを取り返そうとしたことが、わがままだというのだろうか。
 キャロラインは、誕生日の日に父から宝石を贈られたというのに。

 結婚してからも、義妹という呪縛からは逃れられなかった。
 彼女はことあるごとにドレスや宝石が欲しいと催促してきたのだ。
 義妹や義母との生活ですっかり精神的に参っていたフリーデは実家を離れても、呪縛に囚われたまま。
 キャロラインから催促されるがまま、高級なドレスや宝飾品を購入しては、せっせと義妹へ捧げた。

 ――でももう、私はこれまでの怯えるフリーデじゃないのよ。

 部屋の前で深呼吸をして覚悟を決めて入ると、キャロラインがクローゼットを漁り、ドレスを自分の体にあてがっていた。
 足元には乱暴に服が脱ぎ散らかされている。
 キャロラインはあいかわらずの可愛らしい笑顔をみせる。正体を知っているフリーデからしたら魔物のほうがまだ可愛げがあると思える。

「あら、フリーデ、ようやく着たのね。遅いわよ! 待ちくたびれたわ! いつまで待たせるのよ! ほーんと、あいかわらのうすのろぶり!」
「キャロライン。どうして大人しく居間で待っていなかったの?」
「どうせこの部屋に来ることになるんだし、手間を省いただけ。感謝してよね」

 彼女が今、自分の体にあてがっているドレスはついこの間、ギュスターブとユーリと一緒に街へ出た時に購入したものだ。
 つかつかと歩み寄り、ドレスを奪う。

「ちょっと、何をするの!」
「勝手に人の服を漁るなんてどうかしてるわよ」

 キャロラインは目を見開く。

「ハッ。あんたのものは、私のものじゃないっ、忘れたの?」

 こうして、いつも実家でフリーデは蔑まれ、味方のない家の中で孤立していた。

 ――それにしても原作では名前程度しか出てこなかった割りに、キャラが立ってるのね。ひどい方向に、だけど。

「それで、何をしに来たの? 帝都から離れたここにわざわざ来るなんて。それも一人きりで」
「手紙、読んでないの?」
「最近なにかと忙しかったから、手紙を読む時間もないの。だから教えて」

 嘘だ。送り主の名前に目を通すなり、捨てていたのだ。
 どうせろくな内容じゃないに決まっている。
 キャロラインは目を鋭くさせた。

「ちょっと。さっきからやけに好戦的じゃない。頭が高いんじゃないの? いつもみたいに這いつくばりなさいよ! 身の程知らず!」

 腕を組んだキャロラインが蔑みの視線を送ってくる。
 ハァ、と重たい溜息が口から出る。

「なに溜息なんて漏らしてるのよ!」
「そりゃ呆れてるからに決まってるじゃない」
「な、何ですって! あ、あんた、何様よ……!」
「キャロライン、あなたこそ、何様?」

 激昂するキャロラインとは裏腹に、フリーデの頭は冷静になっていく。

「そんな生意気な態度を取って……お父様とお母様に言いつけるわよ!?」
「勝手にして。あの耄碌《もうろく》ジジイと耄碌ババアに何ができるの? 私はもう、あの家とは何の関係もない。私は伯爵夫人なのよ!」

 離婚予定のことなどはおくびにもださず、フリーデは宣言し、フリーデは一歩踏み込んだ。

「な、なによ……」

 彼女の中のフリーデとだいぶ印象が違うことに動揺したのか、キャロラインは後ろに下がった。しまいには長椅子につまずき、尻もちをついてしまう。
 ひどく無様な姿に、フン、と鼻を鳴らす。
 こんな女相手に要求されるがままフリーデはドレスや装飾品だけじゃなく、お金まで差し出していたのだ。どれだけ辛く、惨めだっただろうか。

「で? 用件は?」
「だ、だから……ふ、服を送って欲しくって……あと、お金よ! あんたは実家の財布! 黙って送ってきなさいよ!」
「へえ、そのためにわざわざ来たわけ? 一人で? でもね、世の中、そんな甘くないのよ。そんなにドレスが欲しかったら自分で買いなさい。優しいお父様とお母様が何でも買ってくれるはずでしょ?」
「う、うるさいわね! 私は、侯爵家の令嬢よ! そっちは格下の戦争狂いの伯爵に嫁いだ分際で生意気なのよ! 私に従うのが当然じゃない!? あんたの存在理由はそれだけでしょ!?」

 キャロラインは、従順だと思い込んでいた相手に反撃され、涙目になりながら、わめき散らした。こうして彼女は常に自分の求める結果を手に入れてきた。
 まったくわがまま放題の子どもがそのまま大きくなったようだ。

「伯爵家は、あなたなんかに馬鹿にされるほど落ちぶれてもいないのよ、キャロライン。それに、これからこの領地は豊かになっていくの。ま、どれだけ豊かになっても、あなたには銅貨一枚、渡すつもりはないけど」
「なんなのよぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 キャロラインは起き上がるや、フリーデの宝石箱を開けたかと思うや、ユーリが似合うと選んでくれた瞳と同じ紫色の首飾りを乱暴に鷲掴みにする。

「これ! もらっていくわよ!」
「キャロライン、あなた、どれだけ意地汚いのよ!」

 ――それだけは絶対に渡さない!!

 フリーデはキャロラインの前に飛び出すや、その頬めがけ平手をお見舞いした。
 呆然とした顔のまま、キャロラインは叩かれた頬を抑え、信じられないという顔をする。

「いい加減にしなさい! これ以上の無礼をはたらくのなら、衛兵を呼ぶわよ!」
「ぶ、ぶった? わ、私を……? は? あ、あんたごときが? な、なによ、なんなの……?」
 キャロラインは平手打ちされたことに呆然となり、ぶつぶつと呟く。

 ――これくらいで……どれだけメンタルが弱いのよ……。

「フリーデ!」

 その時、扉が開き、ギュスターブが部屋に飛び込んできた。
 そして床に崩れ落ちているキャロラインを見る。
 フリーデは冷静に歩み寄ると、力のぬけた彼女の手から首飾りを取り返す。
 ギュスターブだけじゃなく、執事やメイドたち、それどころかユーリまで揃っていた。

「ちょっと、ユーリまで……」
「ごめんなさい。でもフリーデ様が心配で……」
「そう、心配かけちゃったわね。でも平気よ」

 フリーデは安心させようと笑いかける。

「なによ、そのガキは」

 キャロラインがやさぐれたように呟く。

「ゆ、ユーリ、です。は、はじめまし……」

 キャロラインは酷薄な光を瞳に浮かべた。

「あんたの子じゃないわよね! まさか、伯爵の愛人の子ども!? いい気味だわ! 十年も結婚して、愛人に生ませた子どもを育てさせられてるなんてねえ! 傑作だわ! アハハハハハハハ……なあああああああんて、無様なのよぉぉぉぉぉぉぉ!」

 フリーデは慌てて、ユーリの両耳をふさぐ。

「言っておくけど、ユーリは愛人の子じゃない。ギュスターブ様のご恩人のお子さんよっ」
「――お前の妹、恥を知らないようだな」

 ギュスターブがうなるように呟く。

「は? なんですって? 私は侯爵家の令嬢よ。それを、わ、分かって……」

 キャロラインは、自分を見下ろすギュスターブの鋭い眼光に射貫かれ、口をぱくぱくさせ、言葉を失った。
 それはフリーデも息を呑むような鋭さと怒りを感じさせる。

 ――ぎゅ、ギュスターブってこんな怖い目ができるの……?

 ギュスターブから睨まれ、フリーデは生きた心地がしないという顔をして、全身をブルブルと震わせる。

「ギュスターブ――」
「黙っていてくれ、フリーデ。君を侮辱されるということは、我が家門全体を侮辱されたも同然だ。今の君は、俺の妻、伯爵夫人なんだぞ」

 その通りだ。

「……そうね」
「ルード。義妹はもうお帰りだ。馬車に乗せ、街までお送りしろ」
「かしこまりました」
「必要があれば、兵士を使っても構わない」

 ルードは他のメイドと協力して、キャロラインを起き上がらせると、半ば無理矢理連れて行く。

「さ、触るんじゃないわよぉ! わ、私を誰だと思ってるの!? 侯爵家のキャロライン・ヨル・ノルラントよぉ……!!」

 ヒステリックな声が虚しく廊下にこだました。

「余計なことをしたか?」

 ギュスターブがフッと表情を緩め、いつもの落ち着きのある声で言った。

「いいえ。ありがとうございます。助かりました……。あなたの言葉はもっともです。私への侮辱は伯爵家への侮辱、まさにその通りです。ごめんなさい。妹が」

 フリーデが頭を下げると、「やめろ」とギュスターブが柔らかな声で言う。

「君が頭を下げることなんて何一つないだろう。勝手に押しかけて来て、わめきちらしたのはあれなんだから」
「でも、私の弱さのせいで、キャロラインを増長させてしまったから……そもそも要求に、従うべきではありませんでした。今後は気を付けます……いいえ、一切、従いません」
「何か困ったことがあればすぐに言って欲しい。一人で抱え込まずに。それからもう二度と、あの女は屋敷へ入れないようにするが、構わないか?」
「ええ、ありがとう」

 と、そこでずっとユーリの耳を塞ぎっぱなしだったことを思い出して、手を外す。音が聞こえなくても、キャロラインのビジュアルが強烈すぎたからあまり意味はなかったかもしれない。

 ――本当にキャロラインって、情操教育に悪すぎるわ……。

 せめて反面教師にしてくれるといいんだけど。

「……フリーデ様、大丈夫ですか?」

 ユーリが心配そうに見つめてくれる。
 フリーデはせいいっぱいの笑顔を見せる。

「ぜんぜん平気。心配してくれてありがとう。すごく嬉しかった」
「なにもできませんでしたけど」
「来てくれただけで十分よ。じゃあ、先に部屋に戻っていてくれる? あとでお散歩しましょう。もうこれから勉強なんて気分でもないだろうし」
「はいっ」

 メイドと連れだって歩いて行くユーリを見送ったフリーデは部屋に戻ると、首飾りを宝石箱に戻す。
 それから手紙の束から、ノルラント家からのものを探し出す。運良く残っていた。
 送り主は、父のバスティアン。内容はいつものように金と、キャロライン用のドレスや宝飾品を贈れというものだ。それに加えて、さっさと返信を寄越せ、というとても頼み事をしたくなるような内容ではなかった。

 言葉遣いの荒さと同時に、文面や筆跡からは焦りと苛立ちを読み取ることができた。
 侯爵家は豊かなはずだ。
 いくら娘から無視されたところで、ここませ乱暴な口調になるものだろうか。

 ――フリーデは原作ではさっさと退場する端役だから、侯爵家の詳しい状況なんて出てこないのよね。実は火の車とか?

「ルード」
「はい、奥様」
「ちょっと調べて欲しいことがあるんだけど」

 ルードにお願いしてノルラント家を調べてくれるよう頼んだ。
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