死に戻り令嬢と顔のない執事
第一章

発端


「金だけが取り柄の成金一族であるお前を役立ててやろうというのだ。俺の気遣いに感謝しろ」

 傲慢で、相手が自分の思う通りに動くことを疑わない声。それを耳にした瞬間、まるで夢から醒めたようにリーシャの意識は突然その場に放り出された。
 受け止めきれない量の色、音、匂い――いきなり切り替わった景色の情報を、五感のすべてが痛い程の刺激でリーシャに伝えてくる。

(今の声、間違いなくハロルド様のものだ。でも、どうして……? 一体、何が……)

 圧倒的な情報量が処理しきれず、目は開いているのに目の前の状況が理解できない。

 先程まで自分は、冷たい石の上で血を流して倒れていたはずだった。
 骨が軋むような寒さと痛み。ガタガタ震えるたびに血が流れ出し、そしてさらに体温は失われていく。それはもはや骨が凍りついたかと思う程の苦しみで。
 やがて意識が薄れていく中で柔らかな温かさとふわふわした浮遊感に包まれるようになり、これでようやく楽になれると安堵した……はずなのに。



「おい、聞いているのか!」

 反応の悪い彼女に苛立ったように、目の前の男がガンと拳をテーブルに打ちつける。その行動までが、そっくり記憶の中の「彼」のものと同じだ。

(そんな……そんなはずはない。もしかして、これが走馬灯というものなの……?)

 ずきりと目の奥が痛む。景色がぐるぐる回りはじめたようで、吐き気がする。

 ――何が起きたはわからなくても、今身を置いているこの時間はかつて自分が過ごしたものと同じ。



「いつまでも辛気くさい顔でうつむいているな、茶が不味くなるだろう」

 立ち竦むリーシャを苦々しそうに一瞥し、ハロルドは顔をしかめた。
 蜂蜜色のブロンドの髪とサファイアのような真っ青の瞳、抜けるような白い肌。高貴な人に相応しい美しい風貌のハロルド。
 それなのに何処か崩れた印象を受けるのは、ひとえに本人の性格の所為だろう。滲み出る尊大さ、人を人とも思わぬ傲慢さがその視線、その口調から透けて見える。

「こんな女が、俺の婚約者だなんてまったく忌々しい。せいぜい成金自慢のその資産を使って、俺の役に立ってみせろ。そもそも……」
「失礼します、お嬢様。顔色がすぐれませんが、お身体の具合が良くないのでは?」



 慇懃(いんぎん)な口調ながらも、ハロルドの苦言を遮る声が響いた。
 それと同時にがっしりとした体躯の男がハロルドの視線からリーシャを守るように立ち、彼女の手から脈を取りはじめる。

「貴方は……」

 見覚えのない姿に戸惑いの声を上げるが、執事服に身を包んだその男は意に介さない。

「恐縮ですが、お嬢様の体調が悪いようですので本日の歓談はここまでとさせていただいてもよろしいでしょうか」

 物腰は穏やかに、しかし断固とした口調でハロルドへ告げる声を、リーシャは他人事のように聞いていた。

「っ、誰が好き好んでこんな女と話がしたいと思うものか!」

 怒りに身を任せて立ち上がったハロルドは、そんな彼女に指を突きつけて言い放つ。

「良いな。先程の挙げた素材、できるだけ早く用意をしておけ。お前と次に会うのは、それの手配が終わってからだ」
「……はい、承知いたしました」

 頭を下げて恭順の意を示すと、もう興味はないとばかりにハロルドは彼女から背を向ける。

「おい、ティアラとの待ち合わせへ急ぐぞ。まったく、こんなところで時間を取られていたから、彼女と会う時間が減ってしまった……」

 仮にも婚約者の屋敷に居るというのに、(はば)かることなく浮気相手の名を口にしながらその場を後にするハロルド。



 その何処までも身勝手な姿を見送りながら、リーシャは複雑な想いを抱いていた。

(やはりそうだ、これはあの時と同じ光景……ということは、時が巻き戻っているの……?)

 死にゆく間際の妄想だとしたら、あまりにも鮮明すぎる。そして走馬灯だとしたら、記憶と異なる会話をしている道理が通らない。
 現実離れした発想だとしても、過去に戻ったと考えるのが一番納得感があった。

(でも、だとしたら……彼のこの依頼に応える訳にはいかない)

 千々に乱れる思考に乱されながら、リーシャはそっと瞼を閉じる。

(だって私は……その依頼に応えたために、()()()()()()()()()()のだから)


< 1 / 24 >

この作品をシェア

pagetop