政略結婚した他人行儀な彼に催眠をかけたら溺愛獣になりました

お義母さん今なんと…?

当然の電話は、結婚3週間を迎えた日の正午にあった。
「お義母さん? どうされたんですか」
普段、向こうからアクションも取らないお義母さんから連絡がかかってくるなんて、何かあったのかと勘繰ってしまう。
「久しぶりに、しほさんの声を聞きたいと思って。最近元気にしてらっしゃる?」
例えそう思っていなかったとしても、気遣いの言葉に少し嬉しくなる。
「ええ、お陰様で」
「そう、それなら良かった。急なのだけど、今から会えないかしら?」
「今日、ですか?」
「難しかったらまた日を改めるけど」
有無を言わせないような威圧感を、いつもお
お義母さんからは感じる。元より断れると思っていないだろうし、私も断る理由はなかった。
「いえ、大丈夫です」
「良かった。場所は──」

お義母さんに呼ばれたのは、高級そうな料亭だった。もちろん個室で二人きり。自然と背筋が張る。お料理をいただきながら、ポツポツと会話を続けた。

「今日ご一緒できて良かったわ、しほさんのお元気そうな顔も見れたし」
「ありがとうございます。お義母さんもお変わりなく」
「それで雪翔さんとは如何?」
「如何…とは?」
 スッとお義母さんの目が細められた気がした。空気が一瞬冷たくなった。わかっているけど、私たちはお義母さんが望むような、関係を気付けていない。
「ほほほほ、いやねえしほさん。そんなに固くなってしまって」
「はは…、あははは」
乾いた笑声しか出ない自分が悲しい。
「雪翔さんは無口でしょう?」
 お義母さんの前だと言いにくいが、確かに雪翔さんはあまり話さない。まあ、私と話したくないだけだとは思うけど。
「まあ、確かにそうですけれども」
「あの子は緊張しいだから、余計にしほさんの前だとそうなってしまうのね」
「ええっ、雪翔さんが?!」
つい大きな声を出してしまい、慌てて口を押される。だって受け答えだって、初めから正解を知っているように簡潔に返答するし、落ち着いた顔つきからしても、にわかには信じられない。
「あらそんなに驚く事だったかしら? 昔からそうなのよ、だから家族の私たちにも心を開かない、いや開けないの」
意外な雪翔さんの一面。けど、何となくわかる気もする。私も、自分の本当の気持ちがわからなくなってしまうから。
ここだけの話なのだけど、とお義母さんは息を潜めた。
「実は雪翔さんは感情に何らかの欠落している部分を持っていて、一種の病気なの」
「えっ」
「黙っていて本当にごめんなさいね。でも障害とかではないのよ? 私たちも何とかしようと何度も治療を行おうとしたのだけど、本人が嫌がってね」
「そう、なんですね」
 それなら、あれだけ表情が乏しいのも納得できるかもしれない。
「それでね、しほさんにお願いがあるんだけど」
 お義母さんが、着物の袖を手繰り寄せる。
「え、ええ。何でしょうか?」
 一体お義母さんが私に何のお願いをするのだろうか。予想もつかない問いかけに、戸惑いがちに返事を返す。
「雪翔さんの本音を引き出す役目を、して欲しいの」
「本音、ですか?」
「正しくは、雪翔さんの感情を取り戻す治療の手伝い、かしらね。それで何か変化があったら、逐一私にそれを報告して欲しいの」
「でも私医学の知識もないですし」
何より、雪翔さんも嫌だと想うだろうし
「それなら心配ありませんよ。私がしっかり教えますから。私たち一族を助けるためだと思って」
一族のことを出されてしまったら、私がどうこう言える権利はもう無い。それに、少なくとも私は、雪翔さんの良き妻になりたいと思っている。そこに愛までの感情が無かったとしても。
「では、私ができることなら」
「そう、なら良かった」
深く思いを巡らせながら返事をした私は、お義母さんが赤い唇をニヤリと歪めたことなんて気づく事はできなかった。

渡されたのは、CDの入ったプレーヤー。プレーヤーはかなり小型のものだ。
「このCDはこんな風にして流して」
カチッとボタンを押すと、聞こえたのは唸り声のような音。
「あの、これは?」
「これはね、組み合わせた音を流すことによってリラックスのような心地を感じることができるの」
「そう、なんですね」
よく耳を澄ましても、私の耳にはあ?まり音が入ってこないけど。私の疑いを見透かすように、お義母さんは笑う。
「変な音だと思っても、安心してかけてくださいな」
「はい」
「それとこれを」
お義母さんが袖から取り出したのは、糸に丸い球体をつけたもの。これってふりこ……って……、え?
「あのお義母さん? こ、これは」
 思わず声が吃ってしまう。だって、これって催眠術とかでよくある奴だよね?
「胡散臭いって思いました?」
「いや、そのっ」
見透かされたようでドキッとする。
「良いんですよ、そう思うのも普通なのですから。雪翔さんの治療には、催眠療法
が一番効果的なはずなんです」
「はぁ……」
いまいちピンと来ていない私に、お義母さんは朗らかに微笑む。
「催眠療法というのも立派な治療の一つなんです。相手の心を開かせて、より良い方向に導いてあげることができるのですから」
お義母さんは、一通り催眠療法を説明した後、私にふりこを握らせて、最後に念を押すように真剣な顔で言った。
「雪翔さんに気づかれないよいに、くれぐれも気をつけてくださいな。もし治療をしているとわかったら、上手くいかなくなりますから」
「はい」
全く私が助けなくても、全て自分でできてしまう雪翔さん。果たして、そんな人に隙なんて生まれるんだろうか?
「本当に雪翔さんがお疲れの時にしてくださいね。その方が、感情も素直に出やすくなりますし。とにかく反応がどうであれ、とりあえずしてみてくださいね。反応があればそれは正しいことなのですから、あなたも驚かずにいてくださいね」
「……わかりました」
「近いうちにすることになるでしょうから、しほさんも準備をしっかりお願いしますね」
「はい」

「では、よろしくお願いしますよ」
本当にこんなので治療できるのかなと、失礼ながらやっぱり思ってしまう。私は半信半疑のままお義母さんと別れ、料亭を後にした。


「お、おかえりなさい」
「戻りました」
 素っ気ない声で言うと、特に何も言わずに雪翔さん部屋に向かう。返事をしてくれるだけでまだ良いかもしれない。雪翔さんが書斎に荷物を置いたり夕飯を食べる準備をしているとき、私は二人の寝室に戻る。元々は、ダブルベッドが設置してあったけれど、もちろん一緒に床を共にできる状態ではなく、かと言って他にベッドが置けるような部屋が狙ったように無かったため、シングルベッドが部屋の両端に置いてあるのだ。
雪翔さんが静か食事を始める頃合いを見て私はリビングに移動した。私たちは一緒に食事はとっていない。「帰るのが遅くなるので」と言われたが、実際は親しくも無い人と食事をとりたくも無いというのが本音だろう。だから、わざと私も食事の時間をずらしているのだ。
私はこっそり雪翔さんの様子を盗み見て声をかけた。
「あっ、あの」
「何ですか?」
 不快さを滲ませた声色に思わず口を閉じそうになるが、何とか言葉を紡ぎ出す。
「今日、お義母さんにお会いしました」
「お母さんと?」
 表情が乏しい雪翔さんにしては、かなり驚いた顔をしている。そんなにびっくりすることなのかなあ。
「何か…されませんでしたか?」
「えっ、何かって」
 何かされるってどう言うこと?
「いや、何もないなら良いです」
そう言って、私の心の疑問に答えてくれるはずもなく、雪翔さんは珍しく言葉を続けた。
「これから帰りが遅くなります。あなたは何も気にしないで先に寝ててください」
「いえ、私は遅くまで起きていますので」
 待っていたいと言っても、雪翔さんは迷惑だろうし。
「そうですか」
一言そういうと、雪翔さんは黙々と食事を再開した。

それから、雪翔さんは宣言通り帰りが遅くなるようになっていった。私の前では、何事もないように振る舞っているけど、疲れているはず。食事を摂っていない日もあるようだった。
催眠療法を行う機会は、私が予想するよりも早くやってきた。
ある時、日付が変わる頃。ガタッと、普段なかなか聞かない大きな音が玄関した。急いで向かうと、壁にもたれかかるようにして、辛そうにしている雪翔さんがいた。
「雪翔さん?! どうされたんですか?」
「いや、大丈夫です。大丈夫」
そう言う雪翔さんだが、どう見ても大丈夫そうな雰囲気ではない。バランスを崩しかける雪翔さんを支えると、私は体に手を回して、「ソファまでご一緒します」
と言った。雪翔さんは観念したように、「お願いします」と口にした。
リビングのソファまで誘導し、雪翔さんに座ってもらう。
「良かったら、何か入れましょうか」
「では水を」
流石に疲れすぎて、頼らざるえないみたい。
「雪翔さん水です、飲めますか」
「ああ…、ありがとう、ございます」
 雪翔さんお喉仏が、水を飲むためにこくこくと上下する。私はじっと雪翔さんを見守った。
水を飲み終わった雪翔さんは、コップを前の机に置くと、力なく背もたれに背中を預けた。ここまで脱力している雪翔さんを見るのは初めてで、私としては新鮮だ。よっぽどお仕事大変なんだろうな。
「あの、ちょっと待っててください」
雪翔さんがまだソファから動かないうちに、私は部屋に戻ってCDとふりこを持ち出してきた。急いで戻ると、同じ体制で雪翔さんがいたのでホッと息をつく。気づかれないようにそっとCDプレイヤーをかけた。雪翔さんは、特に音を気にしている様子はないようだ。
私は、遠慮がちに雪翔さんの隣に腰掛けた。料亭で聞いた唸るような音を消すように、私は声をかける。
「具合はどうですか」
「ああ…さっきよりは幾分か良くなりました」
 それ以上踏み込めないような雰囲気。でも、始めたからには続けなければならない。私は、更に話を続ける。
「雪翔さん、あの、最近お忙しそうですね」
 何を話して良いか分からないので、とりあえず当たり障りのないような事を聞いてみる。
「ええ、まあ」
「暫く続きそうですか?」
「そうですね。今は全く目処が立っていない状態なので、いつ落ち着くかはまだ何とも」
そう答えると、雪翔さんは眠そうに瞬きを何回かした。
「あの、良ければ私の方を見ていただけませんか」
 私は雪翔さんの前に振り子を垂らす。雪翔さんの目が振り子を捉えると同時に、ゆっくりとそれを揺らし始めた。
戸惑ったように、雪翔さんの手が振り子の方に手が伸ばされてビクッとするも、その手はすぐにだらんと垂れて一安心する。
「あなたは、だんだんとリラックスして体の力が抜けていきます」
ぶーんぶーん
唸りのような音が、部屋中を満たしていく。
雪翔さんの方から力が抜けていくのが、目に見えてわかった。上手くいっている。確信した私は、次々とお義母さんに教えられたように、言葉を続けていく。
「あなたは、だんだんと意識が薄くなっていきます。ふわふわ〜、ふわふわ〜として、もう何も考える事はできません」
 雪翔さんの目が、ここではない何処かを見始める。
「ゆっくり深呼吸をして、力を抜いてリラックスしてください。あなたがどんな行動をしても、誰も気にする人はいません。あなたは自由です。あなたの行動を、誰も咎める人はいません」
 雪翔さんの瞼が何度も重たそうに下がる。よし、良い感じだ。
「吸って〜、吐いて〜。そうです。あなたじは本音や欲望を全てさらけ出せるようになります。決してそれは恐ろしい事ではありません。だから怖がらないで。このまま深く眠って、あなたの意識がなくなっていきます。目が覚めた時、あなたが本来のあなたのままでいられるようになります」
 私は言葉を続けていく。
「数を10から数えていきます。あなたは完全に、本来の姿に戻れます。10…、9…」
 私は数を数え続ける。
「8…、7…、6…、沈んでいく。意識が沈んでいく。5…、4…だんだんと深くなっていく。」
私はこの後のことをお義母さんに聞いていない。この後何も言われていないけど、どうすれば良いんだろう。でも、ここまで来たらやり切るしかない。
「沈んでいく。もっと意識が沈んでいく。怖がらないで。意識がどんどん落ちていきます。3…、2…、1…。はい、あなたは完全に本来の姿を取り戻しました」
その瞬間、雪翔さん目がスッと閉じられ、体が私の方に崩れ落ちるのを、すかさず手で押さえた。うう、重い。
 雪翔さんの長いまつ毛を眺めつつどうしようかと思ったその時、雪翔さんが目を開けた。
「雪翔さん? あの……、大丈夫ですか?」
 雪翔さんは質問に答える事なく、私の事をじっと見ている。
「あっ、あの、これはっわざとじゃなくてですね」
しまった〜。きっと無遠慮に触れた事が気に入らない違いない。しどろもどろに説明する私を、雪翔さんは尚も見つめ続けている。これはもしや催眠は上手くいっていないんじゃ無いか、とか怒られるんじゃ無いかとか、色々考えてしまう。
「あの…雪翔さん?」
 何だか、様子が変? そう思った時、寝ぼけまなこな雪翔さんが思わぬ事を口にした。
「好きだ」と。
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