ダメな大人の見本的な人生

11:ギャップ

「大学で初めて衣織を見たときにね、似てる~って思ったの!!」
「似てるね」
「でしょ!? 間違いないよ!! だって私、何回も握手会でチョコプレ直接見たんだもん」

 案外冷静なのかと思ったが、今の実柚里はキャッキャしていて年相応の子に見えた。

 年下の可愛さはこういう所だ。
 無邪気で自分の感情に素直で愛らしい。

 自分もこのくらいの年齢の頃は、結婚だなんだと変な損得勘定を働かせないで、イケメンを見てウハウハできていたな、と他人事のように思った。

「ああ、当たっちゃった」

 ふいに実柚里の指が触れたスマホ画面から先ほどのピンクイケメンが消えた。
 代わりに表示されたのはガタイのいい男性。

 登録者100万人越え。
 バチバチに鍛えていそうな男性が、きちっとスーツを着こなし、赤い覆面をかぶり、人差し指を立てているという、情報が多すぎて自分の解読能力を疑うレベルの情報量の写真と、〝覆面アルファ(二代目!!)〟という文字。

 一体何者だ。
 お笑い芸人か、それともプロレスラーか。

 どちらにしてもチョコプレからの差が尋常じゃないと思いながら、美来は口を開いた。

「何これ? プロレスラー?」
「違うんだけど」

 美来の問いかけに、実柚里は飽きれ果てた様子で呟いた。

「お前、こんなん見んの?」

 実柚里の持つスマホ画面を見て、普段声を張らないハルが声を張った。

「えっ、知ってるの!?」
「え、知ってるの……?」

 嬉しそうにする実柚里と対照的に、美来は恐る恐るそう問いかけた。

「見たことはないけど。ビジネス系だろ?」

 ビジネス系……?
 お仕事をされている方……?
 なんの……?

「そう!! 凄いんだよ、この人」

 ついていけていないのが自分だけだという認識があった。

 ビジネス系ってなに? そんな動画を見たこともなければ、なんならそんなジャンルがあることも知らなかった。
 こういう動画って見るのが普通なのか。

「何が凄いの?」

 もしかすると自分は相当ズレているのかもしれない。
 結婚に踏み切れない原因もそのズレにあるのかもしれないと思った美来は、帰ったら見てみようと心に決め、情報収集のために実柚里に問いかけた。

「とにかくわかりやすいの! ビジネス系のウェブクリエイターで」
「うんうん。…………ビジネス系って何?」

 わかったフリをしたがそういう所だぞ、と思い直し、恥を忍んで実柚里に問いかける。

「生産性を向上させるノウハウとかを教えてくれる人だよ。自己啓発とか、聞いたことあるでしょ?」

 〝生産性〟〝ノウハウ〟〝自己啓発〟。
 聞きなれない言葉たちが、つらつらと可愛い顔から。
 絶妙な色のグロスが塗られた唇から次々に零れる。

 どうして今時のグロスは、コップに口をつけても取れにくいんだろう。と、難しい単語で脳をやられた美来は考えていた。

 誰かに興味を持ってもらったのが嬉しかったのか、実柚里は「自作の絵もあるんだよ~」なんて言いながら、楽しそうに話をしている。

 かわいい顔して、バリバリ仕事している人が見る内容の動画を見ているんだな、と改めて思うと、人を見た目で判断するなはこういう時に使うんだと妙に感心した。

「もやもやした気持ちが生まれた時でもね、この人の動画見ると元気が貰えるんだ」

 実柚里はスマホを胸に抱くようにして目を閉じて、可愛らしく口角を上げた。
 まつ毛なが。肌綺麗。

 相変わらず、ハルは興味なさげに酒を飲んでいる。

 話し終えたのか。と思ったのもつかの間、実柚里が急にカッと目を見開いて、美来は思わずびくりと肩を浮かせた。

「ここに書いてあるんだけどね! ほら、ここ。この人は二代目でね~! 初代がいるんだけどその人がもう最高で~! 今は赤の覆面なんだけど~」

 どう考えてもチョコプレの推しより熱を上げて話している実柚里に、この子の頭の中はどうなっているのだろうと思わざるを得ない。

 美来はハルに助けを求めるべく視線をハルに移したが、当のハルは知らないふりをしてカウンターの向こうの壁に並ぶ酒を眺めていた。

「ちょっと」
「あ?」
「一緒に話聞いてよ」
「連れションの女子高生かよ。お前に話してんだろ。ひとりで聞けよ」

 やはり自分中心に世界が回っているハルは、手を差し伸べるという事はしなかった。

「でね、その考え方は、チョコプレのすまるくんも似てるから~」

 いつ何がどうなって、チョコプレのすまるくんの話になったんだ。

 誰だ。
 すまるくんって。
 何色だ。
 ピンクか?

 実柚里の熱量の前では、〝すまるくんはピンクでいいの?〟すら口にできなかった。

「お待たせ。何飲む?」

 実柚里の話が切れたタイミングで声をかけた美妙子によって、実柚里の話は終わりを告げた。

 結局、実柚里の話す内容が理解できたのは全体の一割くらいだった。
 なんならチョコプレのすまるくんの事しか覚えていない。

 実柚里はもしかするとすまるくん、かは知らないが、ピンク色の男の子に衣織が似ていたから好きになったのだろうか。

 気持ちは分かるが、女の顔を覚えず、悪気もなく「誰だっけ?」と言う男なんて、どれだけ顔がよくてもやめておいた方がいいぞと美来は大人の目線から教えてあげたくなったが、これを説教とかいうのか、と考えると、自分が説教できる立場にないのでやめておいた。

 先ほど実柚里が見ていた予想外の、もう名前は忘れてしまった二代目チャンネルの事を思い出す。

 みんなこうやって、自分を高めているのだろうか。
 そうすることが当たり前だから、自分は今、顔以外何も残っていないという不安に駆られているのだろうか。

 若い時からそういうチャンネルを見て自分を高めていたら、今頃もっと違う自分に会えていたのかもしれないと、今更考えてもどうしようもない事を思っている。

 そして将来のある実柚里が、とても眩しく見えた。

 きっともともとこれくらいの温度感だったのだろう。
 しかし、実柚里が帰った後の〝スナックみさ〟は静かだった。

 隣に座るハルとの沈黙が少し気になるくらいには。

「ハルもああいうチャンネル見るの?」
「見ると思う?」
「見ないと思う」
「じゃあそういう事だろ」

 つまり見ない、という事だろう。

 それにしても、そういう事ってどういう事だ。
 しかし、深く考えても仕方ない事は知っていた。
 ハルはテキトーに喋っているんだから。

 ハルはこちらに見向きもせず、含み笑いをした。
 美来は視線を移したが、彼と視線が絡むことはない。

「いちいち考えすぎ」
「考えすぎって言われても……。そうなのかな……?」
「もう誰かとサクッと結婚したら? ダメだったら離婚すりゃいいじゃん」
「そんな簡単に言うけどさァ」

 そういってうなだれながら、美来は酒を一口飲んだ。

「顔、使えよ。顔だけはいいんだから」
「……でも、それ以外、何もないもん」
「一個特徴あるだけありがたいと思えよ」
「顔は劣化するんだよ」
「じゃあもう知らね」

 テキトーな口調でそういうハル。

 〝不安〟だとか〝満たされない〟とか、そんな自分の内側から湧き出てどうしようもない話を、考えても仕方のない話を、ハルはあまり好まない。
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