ダメな大人の見本的な人生

20:カップラーメンの悲劇

 実柚里は伸び伸びのカップラーメンを見て、ブフッと噴出してから笑った。

「コンビニからこんなところまでお湯入れて持ってきたらそうなるに決まってんじゃん!」

 腹を抱えて笑う実柚里になんて目もくれずに、衣織はジーっとカップラーメンの中身を覗いていた。

 落ち込んでいるのか怒っているのか。
 衣織が何を考えているのか全く分からない美来だったが、ふと彼の手元にあるまだレジ袋から出されていないポテトチップスに視線をやった。

 きっと今日はポテトチップスの出番はないだろうな、と思った美来はあまりにも動かない衣織に優しく声をかけた。

「意外と美味しいかもよ。ポテトチップスは今度にしたらいいし」
「もしかしてポテトチップス汁の中に入れて食べるつもりだったの? もう残ってないじゃん! 一滴も! 何考えたらそうなんの?」

 実柚里はとどめを刺す様にそう言って笑うが、衣織はよほどショックなのかなんの反応もなかった。

 変わらない無表情のまま、割りばしを手に取って口に含んだが、口に力を入れるより先に麺が切れた。
 それを見た実柚里が、また腹を抱えて笑い出す。

 さすがに少し可哀想になった美来だったが、衣織は、信じられないという表情で手に持ったカップラーメンを見下ろした。
 それを見て、美来はさすがに噴出した。

「衣織くん、どんだけショックなの」

 腹を抱えて笑う美来を、衣織は唖然とした顔のまま見る。

「カップラーメンが、あんまりおいしくない」

 その言葉を聞いた美来と実柚里は、さらに笑った。

「何がどうなったら、そうなんの?」

 まるで未知の生物の生態に興味を持つみたいに、実柚里は衣織に対してそういう。

 全くもってその通りだと美来は思った。
 逆にどうして無事だと思ったのかと考えて思い出したのは、衣織が幼少期からインスタントなんて口にしたことがないオーガニックボーイだという事。

 楽しみにしていたに違いない。
 これほどショックを受けるなら、コンビニの中で気付いた時に教えてあげればよかった。

 そんな三人にも桜にも見向きもせずに、ハルは自分が選んだ総菜をかたっぱしから広げて地面に並べ、好きなものを好きな時に食べながら酒を飲んでいた。

 ひとしきり笑い終えた美来と実柚里は、目に溜まった涙を拭いながらコンビニの袋をあさる。
 美来は何よりも先にビールをあけて口をつけて、息が苦しくなるまで飲み下した。

「あー面白かった」

 実柚里はそう言いながら、酒も飲まずにつまみの様なおかずばかりを口に運んでいる。

 口を離して、苦みを感じて思う。
 この為に生きている。

 美来が至高の幸せに浸っている中、衣織はカップラーメンがあんまりおいしくない事は諦めたのか、無言でラーメンを食べていた。

 すすろうと口に含んだ途端にブツ! と遠慮も躊躇もなく切れる麺に、美来は必死に笑いを堪えた。

「実柚里ちゃんって何のバイトしてるの?」
「最近一番入ってるのはコールセンター。髪色もネイルも自由だから気に入ってるんだー」

 美来は酒を飲みながら、実柚里はジュースを飲みながら取り留めのない話を延々としている。
 衣織とハルは、二人とも無言で食べ進めていた。

「ねー」
「なによ」
「はい、じゃんけん」

 急に声をかける衣織に、実柚里は少し不思議そうに問いかけた。
 しかし、すぐにリズムよく始まるじゃんけんの音頭に、実柚里は思わずと言った様子でジュースを持っていない方の手を差し出した。

「ポン! はーい。負け~」

 グーを出した実柚里に衣織はそういって、公園の出入り口を指さした。

「カップラーメン買ってきて」
「はァ? なんで私が」
「だって負けたじゃん」
「行くわけないじゃん」

 どうしてそのやり口で行けると思ったのかは知らないが、衣織は「え~」と言いながらふてくされた顔を作っている

 恐らく消去法で実柚里になったのだろう。
 たっぷりと食材を買い込んだハルはテコでも動かなさそうだし、美来は言うまでもない。

「じゃあ何したら行ってくれるの?」
「行くわけないし」
「〝おまる〟の言いそうな事、言ったら行ってくれる?」
「〝おまる〟じゃねーよ! すまる!!!」

 実柚里は本気でキレているが、衣織は全く気にせずにブツブツと切れるカップラーメンを食べている。

「夜に女の子に買い物に行かせるとか恥ずかしくないの?」
「全然恥ずかしくない」
「どんな神経してるの?」
「だから美来さんに行ってとは頼まないじゃん」
「……マジで無理なんだけど」

 実柚里は盛大な溜息を吐き捨てた。

 本当に女の子は切り替えが早い。
 少し前までは衣織の事が好きで好きで堪らない、という感じだったのに。

 推しに激似でも、性格が全く違う時点ですっぱりと割り切るという所が実柚里らしいと思ったし、それが理由ですっぱりと割り切られるのも衣織らしいと思った。

「美来さん、コイツの教育どうなってるの?」

 まさか自分に矛先が向くとは思っていなかった美来はビール片手に思わず背筋を伸ばした。

「私……?」
「そうだよ。コイツ、美来さんの言う事しか聞かないんだから、何とかしてよ」

 ぶすっとする実柚里の言葉に、何故かハルも大きく頷いていた。

「そうそう。マジでコイツいう事聞かねーからな」

 なんでそこでお前まで参入するんだと、酒を片手に上機嫌なハルに視線を向けるが、ハルは一瞥もこちら側にはくれずに、地面に広げた総菜から目を離さない。

「私はこの子の保護者じゃありません」

 断言して、美来はビールを傾けた。
 そう都合のいい時ばかり保護者なんてさせられて堪るか。

 だいたいね、この子はね、人とのデート帰りに別の女と当たり前の顔をして腕を組みながら帰れる男の子なんですよ。と熱弁したい気持ちを、もう一度傾けたビールで流し込んだ。

「じゃあアンタは、美来さんの事どう思ってるの?」

 実柚里がさらりと聞いた言葉に美来は思わず、割りばしで掴んだばかりの枝豆をポロリと器の中に落とした。

 別に彼からみた自分何てどうでもいい。そう思いながらも、聞き逃すのではないかと思った本能が、指を少し曲げて枝豆をもう一度掴む、という行為をしなかった。

「顔が好きって思ってる」

 相変わらずの笑顔でそう答える衣織に感じたのは、やはり安心とか安堵とかそんな言葉だった。
 そもそも、好かれても困る、という気持ちが今も変わっていない事にはやはり今でも安心するらしい。

 しかし問題なのはそんな事ではない。
 それでも、何となく寂しいと思う事が今でも変わっていないという事だ。

「〝美人は三日で飽きる〟ってことわざ、知らないの?」

 美来は枝豆を割りばしでつまんで、何の気もないような様子でそういう。

 〝飽きる〟なんて可愛らしいものじゃない。
 年を取れば、顔は劣化するのだ。それが摂理。どうしようもない。

 分かるわけないか、若いんだから。と思う気遣いと、そんな簡単なこともわからないの。と思う苛立ちと。

 将来がない事も、そもそも一緒になる選択肢すらない子どもに、一体何を求めているのか。
 美来は以前よりもわからなくなっていた。

「飽きる気しないけどな」

 衣織の返事に実柚里はそれはそれは激しい軽蔑の視線を送るが、当の本人は当然そんなことは全く気にしていない。

「じゃあ美来さんがどうなったら、アンタはストーカーやめるの?」
「おお!」

 実柚里がそう問いかけてすぐ、ハルは笑いながら視線を美来や実柚里の後ろに移して声を上げた。

 三人が自分たちの後ろを振り向くと、落ちたばかりで誰も踏みつけていない桜の花びらを風が攫って、ふわりと舞う様に空中を動いていた。
 風の流れがはっきりとわかるくらい、同じ動きをして。

「綺麗」

 公園の淡い光に照らされた光景は、何も考えなくてもそんな言葉が出るくらい。

「話に夢中になってたけど、そういえば桜見に来たんだった」

 〝じゃあ美来さんがどうなったら、アンタはストーカーやめるの?〟
 その答えはきっと〝美来さんがその顔じゃなくなったら〟とか、そんなものだろう。

 美来にとって衣織は、〝年下の可愛い男の子〟。
 つまり一緒にいるのは案外楽しくて、案外気が合って、覚えていない事を思い出させてくれる男の子。

 しかし同時に、〝自分の価値が顔以外にない〟という事を明確に思い出させる存在でもあった。

 だから、やっぱりこれ以上踏み入った関係にはなりたくないと思う一方で、これくらいの距離感ならまあいいか。とも思う。

 まあいいか。なんて思いながら、楽しく笑い合える関係が終わるのは、やっぱり悲しい、気がする。
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