エリート弁護士の執着愛
 プロローグ

 彼だけは私の見た目を笑わなかった。
 彼だけはそのままでいいと言ってくれた。
 時々、ぎこちなく笑う顔を見ると不安になったけれど、気のせいだと思い込もうとしていた。

 でも、そんな私の想いは、大学四年の卒業間近に呆気なく砕け散った。

「あ~~勘違いさせてたみたいだから言うけど、俺が育実《いくみ》と喋ってたのは、親に言われて仕方なくだから。これうちの親に言うなよ? 育実には親切にしておけって言われてるんだから」
「親に言われてって……なんで、なんでそんなこと言うの? 私に優しくしてくれたの、太一《たいち》だけだった。それに、ずっと一緒にいたでしょ?」
「一緒に? お前が付き纏ってきただけだろ?」

 太一は、心底面倒くさそうな顔をして、驚きに見開いた眼差しをこちらに向ける。
 私は奥野《おくの》家の玄関先で、彼に渡すためのカレー鍋を手に持ったまま立ち尽くしていた。

「つか、俺を好きだとかよく言えるよな。考えたらわかるだろうよ……誰が好きこのんで豚と付き合うんだよ。いつも思ってたけどさ、お前、俺と並んでて恥ずかしくないの?」
「……っ!」

 あまりの衝撃に涙がぼろぼろとこぼれ落ちる。
 まさか、小学校の頃からの幼馴染みに〝豚〟呼ばわりされるだなんて思ってもみなかった。彼の優しさを恋心だと勘違いした私が悪いのだろうか。

 たしかに私は平均体重よりも二十キロは太っているし、顔にできたニキビもなかなか治らないし、可愛いとは言えないかもしれない。
 小学校の頃から〝子豚ちゃん〟が私のあだ名だった。学校の健康診断ではいつもグラフの『肥満』のところにチェックが入っていた。

 でも、そんな私に
『育実はちょっとぽっちゃりなだけだろ』
『ニキビなんて大人になれば治るって』
『運動ができなくても、勉強は得意なんだから、得意なことを伸ばせばいいんだよ』
 そうやって元気づけてくれたのは太一だ。

 太一がいてくれたから、私は必要以上にネガティブにならずに済んだし、私を溺愛する両親も太一には感謝していた。
 家が近く、どちらかの家で食事を摂ることも珍しくなかったが、そのときも『たくさん食べる女子って見てて気持ちいいよな』そう言ってくれたのに。

「ひどい……っ」
「そうやってすぐめそめそ泣くところもウザいって思ってたんだよな」
「だ、だって、太一が!」
「だから、いやだったんだよ! お前みたいにモテない女って優しくするとすぐ勘違いすんじゃん。それなのにうちの親父は、お前んとこの親父が名の知れた弁護士だから親切にしておいた方がいいとか。豚と連まなきゃならなくて泣きたいのはこっちだっつうの!」

 太一は苛立ち紛れに玄関に置いてある靴を蹴った。彼の乱暴な動作に、私は肩を震わせて一歩後ずさる。

 彼がずっと私に親切だったのは、利用価値があるからだと突きつけられて、太一への恋心が無残にも砕け散った。

 本当は気づいていたけれど、気づかないふりをしていただけ。
 太一は、学校では決して私と話そうとはしなかったこと。
 用事があって家に行くと、一瞬、迷惑そうな顔をすること。
 学校では友だちと過ごしたいんだろう、きっと今は疲れてるんだろう。自分にそう言い聞かせて、優しい面だけを信じようとしていたのだ。

「お前さ、就職して家出るんだよな?」
「……その、つもり、だけど」

 私は大手弁護士事務所の事務員として就職が決まっている。
 争いごとが嫌いで、人に強く出られない私が弁護士を目指すのは無理だとわかっていた。けれど、父の背中を見て育ってきたからか、やはりその世界への憧れは捨てきれなくて、弁護士の手伝いができる仕事を選んだのだ。
 幸い学校での成績だけはよかったし、父の後押しもあって就職が決まった。
 ちなみに太一の家は会社を経営しており、彼は卒業後、実家を出ずにその会社に就職すると聞いた。

「なら、ちょうどよかった」
「え?」
「お前とこれ以上関わらなくて済むだろ。はぁ~長かった。一生、養豚させられんのかと思ったわ」

 太一はぞっとするとでも言いたげに腕を摩ると、これ以上話していたくないとばかりに私の持っているカレー鍋を奪い取り、玄関のドアを閉めた。
 鍵のかかる音を聞きながら、私はしばらくその場から動けずにいたのだった。


< 1 / 17 >

この作品をシェア

pagetop